koukin Literature of the Month

132. 『加藤ナミエフチ わが師・わが民族の遺産』 加藤 篤美(聞き書き) / 日本 1983
“Kato Namie Huci - Heritage of My Teacher and My People" Kato Namie / Japan [2024.6 up]
 加藤ナミエフチは、(中略)母の名はトゥインレ。子供の頃からだが弱く年に二度三度息が途絶えその度に母親がムックリを口に近づけて息を吹きかけては助けてくれたと言う。フチは「ムックリフチに恩義があるの。だから、どこに行くにもムックリを離したことないんだ。学校へ行く時にもムックリ持って行ってたの。吉田巌先生の時なんか、ウタリばっかりのアイヌ学校だったから、内地から偉い先生方見学に来るでしょ。そういう時いつも私がムックリをやって聞かせたんだ」と当時のことを語っている。
「エカシとフチ 北の島に生きたひとびとの記録」 『エカシとフチ』編集委員会 編 札幌テレビ放送株式会社 1983.12.10

これまでの口琴文学
1. 『空き家の冒険』 コナン・ドイル / イギリス 1905
"The Empty House" Conan Doyle / GB [2005.2 up]
「窓からちらと、見はり役の姿を見たのだよ。なに、こいつはパーカーといってね、大した奴ではない。のどを締めて追いはぎを働くのが稼業でね、口琴(びやぼん)の名手だが、こんな男は歯牙にもかけてやしない。だが背後にひとり、侮りがたい強敵がいるんだ。モリアティの親友でね、ライヘンバッハでがけのうえから岩を落してよこした奴だが、ロンドン中でも最も悪知恵にたけた怖るべき人物の一人だ。…」
「シャーロック・ホームズの帰還」 コナン・ドイル 延原 謙 訳 新潮文庫 1953

2. 『乱れからくり』 泡坂 妻夫 / 日本 1977
"Midarekarakuri / Dancing Gimmicks" Awasaka Tsumao / Japan [2005.3 up]
「おお、そうだった。嘉永の末、大縄(おおなわ)に定住した作蔵は、農業の傍ら、小さな玩具を作り始めた。作蔵は金細工の技術をもっていたようだ。始めは錺師(かざりし)の下請(したうけ)で、神楽鈴(かぐらすず)や鉄のビヤボンなどを作ったんだ」
「ビヤボンて、何です?」
「十センチほどの鉄の玩具だね。頭が輪で、一本の鉄の針金と二股の足が出ている。輪を口にくわえ、針金を指ではじくと、ビヤボンと音がするんだ。文政年間に大流行して、子供も大人もビヤボンとやった。大人には銀製の高級品も現われ、一時禁止されたこともある。明治に入ってからも、子供の玩具として作られていたんだ」
「乱れからくり」 泡坂 妻夫 創元推理文庫 1993.9.24 

3. 『最後の一葉』 O・ヘンリ / アメリカ 1907
"The Trimmed Lamp" O Henry / USA [2005.4 up]
「絵を描くって?――ばかな! 何かじっくり考えるだけの値うちのあるものを心に抱(いだ)きつづけているというようなことはないのかね?――たとえば、恋人(こいびと)であるとか……」
「恋人?」とスウは、ユダヤ・ハープの音のような声で言った。「恋人なんかにそんな値うちが――いえ、先生、そんなものはありませんわ」
「なるほど、そこがあの娘の弱味だて」と医者は言った。
「O・ヘンリ短編集(三)」 O・ヘンリ 大久保 康雄 訳 新潮文庫 1969.4.10

4. 『北夷の海』 乾 浩 / 日本 2000
"Hokui no Umi" Inui Hiroshi / Japan [2005.5 up]
「ご検分のご成功を祈る」
 山崎半蔵が頭を下げて言うと、林蔵は山崎の手をしっかりと握り、唸るように叫んだ。
「成功せねば帰りませぬ。樺太の土となります。もうおめにかかることはありますまい。お達者でお暮しください」
 皆との水盃の後、図合船(ずあいぶね)は扇形の帆を上げ、宗谷柵内の港をゆっくりと出て行った。
 船が浜を離れはじめると、伝十郎の雇人たちが、アイヌの竹楽器ムックリを唇にあてて奏でた。アイヌの女たちが熊狩りに出かける良人の無事と幸運を祈った曲で、雇人たちは二人の前途を神に祈願して奏でたのである。
 男たちは唇と指で曲を奏で、足を踏み鳴らして踊った。ムックリの曲と踊りが終ると、あちこちで叫び声があがり、手を振りながら図合船を追うように浜を走り出した。
 伝十郎は、小さくなっていく人影をじっとみつめ、時々、空を仰いではあふれ出る涙を二の腕で拭った。
「歴史読本」 2001年2月号 新人物往来社 2001.2.1 

5. 『ブラックライト』 スティーヴン・ハンター / アメリカ 1996
"Black Light" Stephen Hunter/ USA [2005.6 up]
…彼の名はアール・スワガー、年齢は四十五歳だった。
 アールはあたりをみまわした。道路はここから斜面にさしかかっているので、片側は高く持ち上がり、もう一方の側は下へ落ち込んでいた。テキサコのガソリンスタンドのくそったれな看板を別にすれば、みるべきものはなにもなかった。(中略)木こりの道具で殻を砕かれて肉と血のかたまりと化し、道路をよごしているアルマジロが一匹。よどんだ暑気のなか、セミどもが、ジューズハープ(口にくわえて指で弾く原始的な楽器)の酔いどれカルテットのように、うるさくさえずっていた。ここ何週か、雨は降っていない。森林火災の発生しやすい気候というわけだ。アールとしては、かつて自分がすごした別の暑くてほこりっぽい土地、タラワやサイパンや硫黄島(イオウジマ)のことを思いおこさされる気候だった。
「ブラックライト(上)」 スティーヴン・ハンター 公手 成幸 訳 扶桑社ミステリー 1998.5.30 

6. 『コショウ菓子(がし)の焼(や)けないおきさきと 口琴(くちごと)のひけない王さまの話(はなし)』 レアンダー / ドイツ 1871
"Von der Konigin, die keine Pfeffernusse backen, und vom konig, der nicht das Brummeisen spielen konnte" Leander/ Germany [2005.11 up]
 ところが、三ばんめのお姫(ひめ)さまは、一ばん美(うつく)しくて、一ばんかしこかったのですが、このお姫(ひめ)さまのところへいったときは、一ばんみじめでした。なにしろ、お姫(ひめ)さまは、王さまに、まるで口をきかせず、王さまがいい出す前(まえ)に、むこうから、王さまはたぶん口琴(くちごと)がおひけになりましょうねと、たずねたのです。そして、王さまがひけないといいますと、それは、たいへん残念(ざんねん)ですわ、ほかの点(てん)は、まことに申(もう)しぶんございませんけど、わたくしは、口琴(くちごと)を聞(き)くのが大すきなものですから、口琴(くちごと)のひけない男のかたのところへは、およめにいかないことにきめていますの、といって、王さまにひじでっぽうをくわせました。
「ふしぎなオルガン」 レアンダー作 国松 孝二 訳 岩波少年文庫 1952.11.15

7. 『二つの種族』パプア・ニューギニアの民話 / パプア・ニューギニア 1977
"The Two Tribes" Ulla Schild ed. / Papua New Guinea [2005.12 up]
 さて、このレンゲに、一人の老婆が娘と住んでいた。ある日、ライ川の岸で流れ木を拾っていると、一本の大きな枝が流れてきた。老婆はただの流れ木だとばっかり思って、勇んで家にかつぎ帰り、乾燥させるために、わきの方にたてかけておいた。それはよいが、夜になって、親娘(おやこ)むつまじく火をかこんで、女のおしゃべりに興じているとき、どこかで琵琶(びわ)笛のようなものが鳴りだした。二人は、ほかにはだれもいないことを知っているので、腰を浮かして聞き耳を立てた。それから、その音(ね)が聞こえてくるらしいところを、あちこちさがした。
 わからない。すこし間(ま)をおいて、またさがした。家の中の物はいちいち手でさわって確かめ、とうとうさいごに、豚小屋の壁に立てかけてある流れ木の大枝のところに来た。引き出して調べてみると、この大枝に一人のりっぱな若者がいて、その若者が琵琶笛を吹いているのであった。そして歩み出て、母娘のそばに腰をおろした。つぎの日の朝、若者は娘と結婚した。やがて二人の息子、レオとアプレをもうけ、そのレオがヤカリ族を残し、アプレはアプリニ族を残した。これが両族のいわれである。
「世界の民話 パプア・ニューギニア」 小沢 俊夫 編 ぎょうせい 1978

8. 『トム・ソーヤーの冒険』 マーク・トウェイン / アメリカ 1876
"The Adventures of Tom Sawyer" Mark Twain / USA [2006.1 up]
子どもたちは、つぎつぎにやって来た。かれらは、からかうつもりでやって来たが、しまいには、みな塀塗(へいぬ)りをした。ベンがへたばるころ、トムは、ビリー・フィッシャーのまだ新しいタコと、塀塗りのつぎの番を交換(こうかん)した。ビリーが疲(つか)れはてた時には、ジョニー・ミラーが、ふりまわすひものついた死んだネズミを持って来て、そのつぎの番を買った−−というような調子で、何時間も何時間もつづいた。そして、午後もなかばすぎごろになると、その朝は、すかんぴんだった少年トムのふところには、文字どおり、財産がうなっていた。トムは前に挙(あ)げたもののほかに、ビー玉を十二、口琴(くちごと)(口にくわえ、指ではじいてならす楽器)の部分品、色眼鏡(いろめがね)のかわりに使う青いビンのかけら、糸まきでつくったおもちゃの大砲(たいほう)、何もあけられない鍵(かぎ)、チョークのかけら、水さしのガラスのせん、ブリキの兵隊、オタマジャクシ二ひき、花火六発、片目(かため)の子ネコ、シンチュウのドアのハンドル、犬のくびわ──ただし、犬はついていない──、ナイフの柄(え)、オレンジの皮四切れ、こわれた窓(まど)わく、これだけを持っていた。
「トム・ソーヤーの冒険 上」 マーク・トウェイン作 石井 桃子 訳 岩波少年文庫 1952

9. 『不思議な少年 第44号』 マーク・トウェイン / アメリカ 1982
"No. 44 The Mysterious Stranger" Mark Twain / USA [2006.2 up]
「…祈りたかったら、きみだけやってくれ。──ぼくのことなど気にかけなくてもいいんだ。ぼくは珍しいおもちゃで遊んでいるから、もしそれがお邪魔でなかったならね」
 彼はポケットから小さな鋼鉄製のものを取り出すと、それを自分の歯の間にあてがいながら、
「これはジューズ・ハープというものなんだ。──黒人が使うんだよ」
 そしてそれをかき鳴らしはじめたが、それは実にしつこく、精力的で、響き渡る、極度に陽気で、人の心を奮い立たせるような種類の音楽だった。そしてそれを鳴らすと同時に、彼は激しく飛んだり跳ねたり、さっと舞いおりるような格好をしたり、ぐるぐると回ったりしながら、部屋の中のあっちこっちと動き回って、祈りの言葉なぞ追い払い、見ている者の目をくらませるような様子をした。そして時々ありあまる自分の喜びを荒々しい歓声で表わしたり、また別の時には、空中に跳び上がり、そこでトンボ返りをうちながら一分間ものあいだ車のようにくるくると回ったりした。そしてあまりにも恐ろしい勢いで素早く回るので、彼はすっかり巻取り機にかけられてしまって、ブンブンとうなる音が聞こえてくるように感じた。そして彼はその間ずっと自分の音楽にきちんとリズムを合わせていた。それはまったく途方もなく刺激的で、異教徒的な振る舞いだった。
 彼は、それをしたからといって別に疲れた様子も見せず、かえって気分が爽快(そうかい)になっただけのようだった。そしてやって来ると、わたしの傍らにすわり、片方の手を魅力的な仕草でわたしの膝(ひざ)の上に置くと持ち前のあの美しい微笑を浮かべて、お気に召したかい、と言った。…
「不思議な少年 第44号」 マーク・トウェイン 作 大久保 博 訳 角川書店 1994

10. 『なりひびけコーチル』 松本 みどり / 日本 1996
"Narihibike Kochiru" Matsumoto Midori / Japan [2006.3 up]
ウディンカは、目をとじて、ゆびでそっとコーチルをはじきました。
コーチルのねいろが、やさしくしずかにひろがっていきました。
森も、川も、風も、すべてがしずまりかえっていました。
ウディンカが、そっと目をあけると、そこに男の人と女の人がたっていました。
「わたしのむすめ!」
女の人はそうさけぶと、ウディンカをしっかりだきしめました。
男の人も、りょう手をひろげ、ふたりをむねいっぱいにだきしめました。
「おとうさん! おかあさん!」
ウディンカは、ふたりのむねのなかで、なみだをながしました。
こんなにあたたかくなつかしい気もちは、はじめてでした。
「なりひびけコーチル」 松本 みどり 岩崎書店 1996

11. 『風の砦』 原田 康子 / 日本 1995
"Kaze no Toride" Harada Yasuko / Japan [2006.4 up]
 香織は、しばらく無言で歩いていたが、ふと聞きなれぬ音が前方から聞こえてくるのに気づいた。波の音ではっきりしなかったが、絃(げん)をかき鳴らすような音である。
「なんだ」
 と、運平も気づいた。
「ムックリかもしれぬ」
「ムックリ?」
「蝦夷人の笛だ。和人は口琵琶(くちびわ)と呼んでいる。笛といってもなにか仕掛けがあって、お前の持っている笛とはだいぶちがうようだぞ」
「見せてもらおう」
 すこし行くと、奏者の姿が目にはいった。浜に引きあげてある磯舟(いそぶね)に腰かけていた。その姿がしだいにはっきりし、月明に横顔が浮びあがって、香織と運平は足をとめた。
「いかん、ショルラだ」と、運平が小声で言った。
 香織も声を落して、
「帰ったほうがよさそうだな」
 ショルラは、二人に気づいていないようだった。海へ向って、ムックリを吹きつづけていた。
 近くで聞くと、風の唸(うな)りのように聞こえた。すすり泣きのようでもあり、きれぎれの悲鳴のようでもあった。胸中の一切を吹きこんでいるようなムックリの音色だった。
 運平は笛をもてあそんでいたが、ふいに笛を唇にあてた。ムックリの音とは似ても似つかぬ澄んだ音色が砂浜に流れた。
 ムックリの音はやんだ。
 運平も吹きやめた。
「なんのまねだ」
 と、香織はなじった。
「笛でショルラの気を引こうとでもいうのか」
「そんなところだ」
「蝦夷人の女を泣かせるようなことはするな」
「女を泣かせたためしはないぞ。泣かされる一方だ」
 ショルラは息を殺して二人のほうをうかがっているようだったが、やがてふたたびムックリを吹きはじめた。
 運平も、それにならった。
 ショルラは吹きやめなかった。笛の音に負けまいとでもするように、ムックリの音は高まっていった。
「風の砦(上)」 原田 康子 講談社文庫 1995

12. 『興安嶺の物語』 オウンク族 / 中国 1983
"Kouanrei no Monogatari [A Story from the Xinganling Montains]" Evenk Nationality / China [2006.5 up]
 松のざわめきと水の音に包まれた山間に、馬のひずめの音が高らかに響きわたった。ウホーナの心は喜びと希望に満ちあふれ、五日間の道のりをわずか半日で走破した。彼が口弦をとり出して愛慕の曲を吹きはじめると、哀婉切々としたその調べは林のなかを漂い、いろいろな鳥たちが彼のところへやってきて飛びまわった。こうして興安嶺は歓喜に包まれた。
 ウホーナは鳥たちにきいてみた。
「シーウトハンの末娘はどんなひと?」
「彼女は千本の花のなかでも一番美しい花、千人の娘のうちのもっともすてきな娘。彼女は仙女より美しい。孔雀でさえも彼女の姿を目にとめると、あのきれいな尾をそそくさとすぼめる。顔は目にも鮮やかなリンゴのようで、お月さまのように人の心を奪う目をしている。美しいばかりではない。銀の鈴のような喉で、その声は歯切れよく澄んできれい。歌をうたえばトラツグミも声をひそめ、ウグイスもこんちくしようとうらむ。一度たりとも会ったことがない人さえ、彼女をお嫁にしたいという。知り合いの若者なら、用事もないのに日に三回も彼女を訪ね、用事があると九回も彼女のもとに馳せ参ずるという始末」
 鳥たちの話にウホーナはさらに心踊らせ、うれしさで胸がいっぱいになった。彼はたぎる力を満身に、山また山を越えて馬を走らせた。そして口弦を吹きながら、綿のような白雲のかかっているところがシーウトハンの宮殿でありますように、と山神に祈った。口弦の音は一面におおっていた白雲を散らした。消えゆく雲のなかから晴れやかな宮殿が姿を現わした。なんと立派な宮殿だろう! ウホーナは魅力に満ちた口弦を力いっぱい吹いた、その口弦のすばらしい音色にシーウトハンは心酔し、いったい誰がこんなに甘美な調べを……と、その人を探しに人をつかわした。ウホーナはやがて宮殿へ連れられた。第一の正門はキツネとタヌキが守っていたが、門は開けられた。第二の門はカラスと飛竜が、第三の門はノロジカとアナグマが、第四の門はオオジカと野犬が、第五の門はクマとイノシシが、第六の門はトラとヒョウがそれぞれ守りについていたが、門はみな開けられた。そして、最後の第六の門を入ったところで、王さまのシーウトハンの姿が現われた。紅顔の美少年のうえ、心うつ口弦を吹くことのできるウホーナをみて、王さまは、
「おまえの口弦は実にすばらしい。宝物が欲しかろう。何でもよい。どんなものでもくれてやろう」と言った。
「いいえ、王さま。末のお嬢さまが絶世の美人ときいて、私はそのお嬢さまをお嫁にいただきたい一心で、プロポーズに参ったのでございます」ウホーナはこう答えた。
「中国少数民族の間に語りつがれている愛の物語」 外文出版社日本語部 編 今井 喜昭 訳 外文出版社 1989

13. 『アラバマ物語』 ハーパー・リー / アメリカ 1960
"To Kill a Mockingbird" Harper Lee / USA [2006.6 up]
 「そんなら、お父さんが、この町で一番チェッカーがうまかったってことしってる? 昔、私たちが<荷上げ場>で大きくなったころの話だけどね、あの川の両側で、アティカスを負かすものは一人だっていやしなかったんだから」
 「なんでもないじゃないの、モーディおばさん、ジェムだって、いつもアティカスを負かしてるわよ」
 「やれやれ、勝たせてもらってるぐらいのことが、もうわかりそうなものにねえ。それなら口琴(指先で振動させる薄い金属または竹で作ったわく)が弾けるってことは知ってるでしょう?」
 なんというぱっとしない趣味。恥かしくて、自慢するなんておもいもよらない。
 「そうそう……」おばさんはいった。
 「なあに?」
 「……いいえ、それくらいだわ――だけど、それやこれやでさ、いまにあんたはお父さんを自慢するようになるとおもうわ。口琴なんてだれでも弾けるってものじゃないんだからね。…」
「アラバマ物語」 ハーパー・リー 菊池 重三郎 訳 暮しの手帖社 2006 (第35刷)

14. 『揚羽の蝶 半次捕物控』 佐藤 雅美 / 日本 2001
"Ageha no Cho (Swallowtail Butterfly)" Sato Masayoshi / Japan [2006.7 up]
  水の出てもとの田沼となりにける

 明和、安永、天明の時代、およそ二十年は、老中田沼主殿頭意次(とのものかみおきつぐ)が、並ぶ者なき権勢を振るった時代という意味で、一般に田沼時代といわれている。田沼はまた賄賂をさかんに取り込んだ老中だったと、当時も、四、五十年がたったこの時代もいわれた。田沼というと、誰もが賄賂を連想した。
 水野は、田沼とおなじように賄賂を取り込んでいる、田沼の再来だという意味の落首である。
 ”物は付け”ではこんなのもある。

  早く埒(らち)のあくもの 三井の早飛脚と水野出羽守

 早く埒をあかせるには、水野に賄賂が必要だという意味だ。
 一年前、鉄(かなもの)でこしらえた、琵琶音(びわおん)という、子供の吹く津軽笛の一種が流行した。そこでまたこんな狂歌がひねられた。

  琵琶ぼんを吹けば出羽どん出羽どんと
     金がものいう今の世の中

 単に琵琶音と出羽どんの音が似ているところからひねられた狂歌だが、いわんとするところは、やはり水野の賄賂取り込みの風刺である。
 だが、さすがにこの津軽笛には水野もまいったようで、家斉の御成のあったこの二月、幕府は津軽笛を鳴らすのを禁じるという大人げのない触れを出している。
「揚羽の蝶 (上) 半次捕物控」 佐藤 雅美 講談社文庫 2001.12.15

15. 『いしいしんじのごはん日記』 いしい しんじ / 日本 2006
"Ishii Shinji no Gohan Nikki" Ishii Shinji / Japan [2006.8 up]
11月1日(木)
東京文化会館でゲラ直し。夜は町田康さんのパーティ。編集者のかたがおおぜい。口琴をならすとみなよろこぶ。代官山「シンポジオン」という店だったんですが、ごはんはおいしかった。ただ料理の名前はいっこもわかりません。
「いしいしんじのごはん日記」 いしい しんじ 新潮文庫 2006.8.1

16. 『蝦夷地別件』 船戸 与一 / 日本 1995
"Ezochi Bekken" Funado Yoichi / Japan [2006.9 up]
…どよめきはしばらく熄みそうにもなかった。
「ドルコエの屍(ケウ)を船着場(チポアヌシ)の集落(コタン)へ運べ、そして、すぐに葬儀(エンイペ)に取りかかってくれ」セツハヤフがとよめきを制するように声を強めた。「葬儀が終ったら、女(メノコ)たちに口琴(ムックリ)を奏でさせろ。船着場だけじゃなく、どの集落でも女たちに口琴を」
「それで?」たれかが訊いた。
「口琴の調べのなかで男(オツカイ)たちは和人(シヤモ)との戦い(コツミ)の第一歩に取りかかる。泊(トマリ)でも留夜別(ルヤベツ)でも留類(ルルイ)でも……どこの集落でも、長人(オトナ)たちは山靼陣羽織(サンタン・チミプ)を着る。[麻+非+り]刀(マキリ)や鉤銛(マレツク)はしばらくは猟には使わない。それは和人との戦いの武器(エシノプケプ)となる」
「蝦夷地別件 上」 船戸 与一 新潮社 1995.5.25

17. 『タルメニとセレメニ』 アレクサンドル・カンチュガ / ロシア 2004
"The Bark Man and the Iron Man" Alexander Kanchuga / Russia [2006.10 up]
 こうして駆けていくと小屋を見つけた。中に入ると、ひとりの若者が横になって口琴を鳴らしている。
 「だれだ? 何しに来たんだ。けんかでもする気か?」と、若者は身構えた。
 「俺はおまえの兄だ。弟よ、ついに見つけたぞ!」とタルメニは言った。
 「どうしてそれを知ってる? カササギが話したのか? 俺も寝ていてそう聞いたが、夢だと思っていた」
 「いや、夢じゃなくて本当なんだ。さあ、父母やほかの人たちを救いに行こう!」
 「よし、行こう! まず獣を獲って腹いっぱい食べなきゃ」
 「じゃ、獲りに行こう!」
 森に入って二頭のアカシカをしとめた。たっぷり腹ごしらえして、前進した。
「ウデヘの二つの昔話」 アレクサンドル・カンチュガ 津曲 敏郎 編訳 かりん舎 2004.3.1

18. 『コールドマウンテン』 チャールズ・フレイジャー / アメリカ 1997
"Cold Mountain" Charles Frazier / USA [2006.11 up]
 昼ごろ、インマンとビージは、切り倒されたばかりの木のそばを通った。歩いている道と平行に、かなりの太さのヒッコリーが倒れ、その横に長い横挽鋸(よこびきのこ)が置いてあった。よく油が注され、どこにも錆がなく、目立てがすんだばかりと見えて、ぎざぎざに並ぶ歯の一つ一つが光っていた。
 ―ほう、見たまえ、とビージがいった。打ち捨てられた鋸だ。これなら、かなりの額で引き取る者がいるだろう。
 拾おうとするビージに、インマンは一言、樵(きこり)が昼飯に行っているだけだぞ、と注意した。すぐに戻って、これからこのヒッコリーを挽いたり割ったりするんだ。
 ―それは私の知ったことではないな、とビージがいった。道端に鋸が捨ててあったのを、私が見つけた。それだけのことだ。
 そして拾い上げ、肩にバランスよくかついで歩きはじめた。一歩踏み出すごとに、両端についた木のハンドルが弾み、大きな刃が口琴(こうきん)の音のようにびんびんと唸った。
「コールドマウンテン」 チャールズ・フレイジャー 土屋 政雄 訳 新潮社 2000.2.25

19. 『わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃』 青島 幸男 / 日本 1991
"Wakaccha Irukedo... Shabondama no Koro" Aoshima Yukio / Japan [2006.12 up]
 この録音の時がまた面白かった。えー私も一応作詞家として立会ったのでありますが、いつもの雰囲気とまるで違うのです。はじめから終わりまで笑いっぱなし、どうやら録音を終了した時は予定の時間を二時間もオーバーしておりました。
 演奏はたしかニュー・ハード・オーケストラだったと思うけど、フル編成のジャズバンド。
 ピアノ、ギター、ベースにドラムス、パーカッションを加えたリズムセクション、それに四本のトロンボーンと、四本のトランペット、サキソホンは、アルト二本、テナー二本、バリトン一本と五人が揃い、その上八人の弦と、ファゴットにジューイッシュ・ハープ、特殊楽器を入れると総勢三十人近いメンバー、豪勢なもんだ。
 中央の指揮台の上にデクさんが譜面台を前にゆったりと椅子に腰かけていて、
「じゃいってみましょうか。スーダラ節テイク・ワン」
「わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃」 青島 幸男 文春文庫 1991.9.10

20. 『ヨーロッパ放浪記』 マーク・トウェイン / アメリカ 1880
"A Tramp Abroad" Mark Twain / USA [2007.1 up]
 それは実行に移された――夜の十時半頃だった。ニコデマスがいつもベッドに入る頃――夜中の十二時――いたずらをしかけた連中がチョウセンアサガオと向日葵の草むらを抜けて、汚い小屋にこっそり近づいて行った。彼らは窓までたどり着いて、中を覗いた。すると、ベッドに足のひょろ長いみすぼらしい若者が短いシャツを着ただけの姿で寝ていた。彼は気分良さそうに足をぶらつかせ、紙にくるまれた新品の櫛を口に押し当ててぶーぶー鳴らし「キャンプタウン レース」という曲を吹いていた。彼の側には新しいジュウズハープ〔竪琴型のフレームに弾力のある細長い弁のついた、口で鳴らす楽器〕、新しい独楽(こま)、固いゴムボール、たくさんの色つきおはじき、それに食べきれないほどのキャンディとシートミュージック〔ポピュラーソングの楽譜で一枚ずつ分売されている〕一冊分くらいの大きさと厚さのあるジンジャーブレッドの食べ残しがあった。ニコデマスは例の骨格標本を旅のいんちき医者に三ドルで売って、その結果手に入れた物を大いに楽しんでいたのだ!
「ヨーロッパ放浪記 上」 マーク・トウェイン 飯塚 英一 訳 彩流社 1996.7.10

21. 『七破風の屋敷』 ナサニエル・ホーソン / アメリカ 1851
"The House of the Seven Gables" Nathaniel Hawthorne / USA [2007.2 up]
 「ヘプジバー、私たちは商品を仕入れ直さなければなりませんわ!」と売り子の少女が大きな声を出した。「しょうが入り動物菓子はすっかり売り切れたし、オランダの乳しぼり娘の木製人形もそうですし、他のおもちゃもおおかた売り切れですのよ。安い干しぶどうはないかと始終聞かれましたし、また呼び子や、らっぱや、口琴(びやぼん)などもわいわいほしがっていますわ。それから少なくとも十二人くらいの男の子は糖蜜(とうみつ)菓子をくれってせがみましたわ。それに赤りんごを九リットルほどなんとかして手に入れなければなりませんわ。ちょっと季節おくれですけれどもね。…」
「七破風の屋敷」 N. ホーソン 作 鈴木 武雄 訳 泰文堂 1964.6.15

22. 『草木虫魚の人類学』 岩田 慶治 / 日本 1991
"Soumokuchuugyo no Jinruigaku (Anthropology of Plants, Insects and Fish)" Iwata Keiji / Japan [2007.3 up]
 私は、かつて、北部タイのミャンマー国境に近い山地でムッソー族の村を訪ねたことがある。予定がおくれて十戸ばかりのその小村に一泊することになったのだが、あいにく適当な家がない。そこで、村で最も小さい、竹づくりの民家に宿を求めることになった。その家が、たまたま廃屋になっていたからである。埃(ほこり)だらけの床を掃(は)き、イロリに火をたいて、どうにかこうにか夕食らしいものを食べた。この村では、米も卵も野菜も買えなかったので、持参のごくわずかの食糧で間にあわせたのである。
 そしてその夜、村の男たちから日頃の生活のあれこれを聞き、ムッソー族の歌を歌ってもらった。歌などは知らないというものが多く、しごくわびしい夜であった。同行のタイ人──チュラロンコーン大学の助手であった──だけが、しきりにわれわれの気分を引きたてようとしていたが、山地の夜は寒く、これからどうして一夜を明かしたらよいのか、気分は暗くなるばかりであった。そのとき、ムッソー族の一人の男が口琴を持ってやってきた。長さ六センチばかり、竹を削ってつくった簡単な楽器である。かれはその竹片を唇にあて、右手でそれに仕組まれた竹の舌を振動させる。音が聞こえるのか聞こえないのか、耳を近づけて聞くと、ブーン、ブーンとそれこそ蚊の羽音のようなひびきが聞こえてくる。
 夕暮れ近い森のなかでムッソー族の若い男女が口琴を鳴らして聞きいるということであるが、この音は何と微妙な、何と繊細(せんさい)な音だろうか。私は次第に、その男に耳を近づけ、目をつむり、口琴の旋律(せんりつ)に聞きいった。それは夕暮れの森の片隅で蚊のつぶやきを聞く思いがした。それでいて、いいしれぬ感動におそわれた。ムッソー族はこういうかすかな音を見棄ててしまうことなく、今日までひっそりと聞きつづけていたのである。おどろかないわけにはいかなかった。これは森の木の葉の音、竹林をわたる風の音、あるいは、竹片のうちに秘められた竹のいのちの音なのであろうか。
「草木虫魚の人類学」 岩田 慶治 講談社学術文庫 1991.12.10

23. 『ハックルベリー・フィンの冒険』 マーク・トウェイン / USA 1885
"Adventures of Huckleberry Finn" Mark Twain/ USA [2007.4 up]
 「それでもな、ジム、どうしても飼わなきゃいけねえ──囚人はみんな飼うんだよ。だから、もうこれ以上文句を言うなよ。ネズミを飼ってねえ囚人なんていねえんだ。そんなためしはひとつもねえんだ。囚人はネズミを飼いならして、かわいがって、芸を仕込む。そうすればネズミはハエみたいに人間と仲よくなるんだ。でも、そのためには音楽を聞かせてやらなきゃならねえんだが、おめえ何か音楽をやるものを持ってるか?」
 「あっしが持ってるのは、粗歯(あらば)のくしと、紙が一枚と、ビアボン(小さい金属の輪を歯でくわえて中央の針を指ではじいて鳴らす楽器)が一個だけだけんど、ネズミはビアボンなんか聞いたって感心しますめえよ」
 「ところが、するんだ。どんな音楽だってかまわねえ。ネズミにはビアボンくらいでたくさんだ。動物はみん音楽好きで、牢獄の中では音楽っていうと夢中になる。特に、うんと悲しそうなのがいい。ビアボンならそういう音しか出ねえだろ。それをやればかならず動物は聞き耳を立てて、どうしたんだろうと思ってのぞきにくる。よし、できた。おめえの支度はそれで充分だ。おめえは、毎晩寝る前と、毎朝早く、寝台の上にすわってビアボンを鳴らせ。『縁(えにし)の糸は絶えて』(第十七章の終わり、上巻の一九二ページ参照)がいいや──あれならネズミを集めるにはもってこいで、早いことこの上なしだ。二分ばかりも鳴らすうちに、ネズミやヘビやクモやなんかが全部、おめえのことを心配しはじめてやってくる。そうしておめえのまわりをいっぱいにとりかこんで、楽しい時を過ごすのさ」
「ハックルベリー・フィンの冒険(下)」 マーク・トウェイン作 西田 実 訳 岩波文庫 1977.12.16

24. 『カネト −炎のアイヌ魂』 沢田 猛 / 日本 1983
"Kaneto - Honoo no Ainu Damashii" Sawada Takeshi / Japan [2007.7 up]
 トネさんは、カナちゃんを、寝かしつけていた。
 旅のつかれからか、カナちゃんは、まもなく、すやすやと眠りについた。
 トネさんは、ふくろのなかから、ムックリを出して、鳴らしはじめた。
 ビーン ビーン
と、ふるえながら鳴るムックリのひびきは、カネトたちアイヌ測量隊の心をなごませるのだった。
 このムックリは、母からカネトがもらって、トネさんにおくったものだ。
 ムックリのひびきは、母の心を伝える。
「カネト −炎のアイヌ魂」 沢田 猛 ひくまの出版 1983.2

25. 『ブライズデイル・ロマンス ―幸福の谷の物語―』 N・ホーソン / アメリカ 1852
"The Blithedale Romance" Nathaniel Hawthorne / USA [2007.12 up]
 人の魂がコツコツ音を立てるような時代――テーブルが何か目に見えぬ力によってひっくり返されたり、弔鐘がひとりでに鳴り出したり、口琴(ビアボン)が身の毛もよだつ音を奏でたりといったことが続々と起きるような時代がやってきたというのでは勿論なかった。だが悲しいかな同胞諸君、今や悪に見込まれたような時代が来たのだと思う。
「ブライズデイル・ロマンス ―幸福の谷の物語―」 N・ホーソン 西前 孝 訳 八潮出版社 1984.12

26. 『神*泥*人 アフガニスタンの旅から』 甲斐 大策 / 日本 1992
"Kami*Doro*Hito" Daisaku Kai / Japan [2008.1 up]
 峠を渡る風を顔に受けながら、何か小さな羽虫が耳に入ったような気分で歩き続けるうち、一キロ近くいって草地に坐っている一人の少年に会った。羊の群を見張る彼は、掌の中に小さなチャング(口元で鉄の弁をはじいて慣らす楽器)を持っていた。冷たく乾いた清澄な空気の中では、少年の口腔に反響させた鉄弁の振動が一キロも空中を渡ってきたのだった。
 「弾いてみてくれるかい?」
 少年は真っ赤に頬を赤らめて恥じらいながら、びいんびいんと、やがて音程をつけリズムをとって弾いた。やがて、裏声に近い高い声でことばのない唄を重ね始めた。
 私が去ろうとする時、少年は何かを言いたげで、しかしそれも見つからず、軽く手を上げた。しばらくして背後から声がきこえた。
 「ホダァ・ハーフィズ(神と共に)!」
 そして再び羽虫が耳に入ったような振動が後方から私を捉え、いつまでも響き続けた。
「神*泥*人 アフガニスタンの旅から」 甲斐 大策 石風社 1992.2.20

27. 『対極 デーモンの幻想』 アルフレート・クービン / オーストリア 1968
"Die andere Seite" Alfred Kubin / Austria [2008.2 up]
 ――例の床屋の助手ジョヴァンニは、移動するキツネザルに気をとられて、ある紳士の顔を剃りかけたまま、一日じゅうほったらかしにした。群れの中にいた美しい牝のオナガザルが、ジョヴァンニにウィンクしたのだ。その誘惑に床屋の助手は抵抗できなかった。哲学に造詣の深い床屋の親方は、藤蔓を手にして、「時間は刹那の集積だということを忘れるな」と叫びながら、助手を連れ戻そうとした。しかし、あらゆる勧告がムダだった。ジョヴァンニは店から雨樋を伝わってかるがると上へ登り、行きがけの駄賃にX皇女のコーヒーが入ったポットを尻尾で引ったくって、ぼくのもとの住居の窓に腰掛けた。そして頬嚢にかくし持ったビヤボンを出し、涼しい顔でそれを吹いた。
「対極 デーモンの幻想」 アルフレート・クービン 野村 太郎 訳 法政大学出版局 1971.3.30

28. 『私 〜 朝です』 谷川 俊太郎 / 日本 2007
"Watashi" Shuntaro Tanikawa / Japan [2008.3 up]
散りかかる落葉の力
むずかる幼児の涙の力
遠ざかる口琴の響きの力
何気ない句読点の力
おはようの力
「私 谷川俊太郎詩集」 谷川 俊太郎 思潮社 2007.11.30

29. 『夕顔将門記』 常世田 令子 / 日本 1997
"YuugaoShomonKi" Tokoyoda Reiko / Japan [2008.4 up]
 その時、谷を隔てた向かいの山から、かすかに、しかしはっきりと、先程のあの響きが渡ってきたのである。老女も若い女たちも、いっとき聞き入ってから、顔を見合わせて笑う。ニシャには分からない言葉を交わし合って、楽しそうにまた笑った。何だろう、何だろう。ニシャ丸はもうたまらなくなって、つかつかと老女に近づき、
「わ、わし役人ではござせん。いま、山のぼって来たればその笛が……。向こうの山でもだれか、鳴らしてごぜしょう。ちぃと見してくなさい、その……笛」
「おや」
 と老女が相巧をくずして、女たちに向って、
「これがそんなに面白いと、妙な子供じゃ」
 それからその平たい竹ぎれを口にくわえ、垂れた糸を張って指で弾いたら、たちまちさっきの音色がびぃーん、びぃーんと、切なく美しく谷を渡ってゆく。ニシャがうっとりと聞き惚れていると、
「狩に出ている仲間たちと、わしらはこうして交信するのよ。陸奥にいたころの先祖たちは、男と女の愛を交わすにも鳴らしたっていうがね。吹くわけじゃないで笛とはちがう。ま、琴かな、口で奏でる琴じゃな」
「夕顔将門記」 常世田 令子 崙書房出版 1997.10.20

30. 『マナス 青年編』 キルギス英雄叙事詩 / キルギス 1988
"Manas" Kyrgyz Heroic Epic / Kyrgyz [2008.5 up]
 美しい顔をサーニ姫が母に向けて言った。
 「みんなを殺しているというのに、どうして放っておけましょう。あの人の前へ出て、とめて来ます。悲しまないで母さま。カラ・キルギスのハーンと婚礼の式を挙げるために、あの人の所へ行きます」
 どうするかを彼女はあらかじめ考えていて、すでに娘たちを華やかに装わせて準備しておいた。六十人の腰元を従え、金の冠を頭に重たげに載せ、十六歳半の彼女が藺草(いぐさ)の敷物をしずしずと踏んで出て来た。金糸で刺繍した長衣がきらめき、月のようなかんばせが輝いている。女たちが進むにつれて、女神がたわむれているかのように長衣が揺れ、前髪が目の上で舞って、腕は袖に通さないままだ。風下に誰かが立てば、やっと目が届く距離からも彼女たちの芳香が届く。絹地の長衣が金糸で織られているかのように光り、革で仕立てられているかのようにかさかさと鳴る。パン焼きかまどの熱のような暑さに閉口しながら、サーニが口琴のようにリズミカルな声を上げた。
 「すべてのタジク人、クィイバのために、この身を捧げます。この世で見たことがありません、あのような気高い方を。どんなにつらくあたっても、みんなあの方は大目に見てくださいました。ベクたちから五人を同行させなさい。わたしはもうあの方の嫁に行きます。わたしがあの方の言うことに逆らわなければ、おおらかにやるでしょう、キルギスのマナス・バートゥルは」
「マナス 青年編 ―キルギス英雄叙事詩」 若松 寛 訳 東洋文庫717 平凡社 2003.8.11

31. 『天下御免 誰かが北で哭いている』 早坂 暁 / 日本 1972
"Tenkagomen" Hayasaka Akira / Japan [2008.12 up]
●長屋で
  シャグシャインの顔。
シャグシャイン「………」
  稲葉小僧が、帰ってきている。
  右京之介、そして紅。
紅「そう……みつからないの。(と、がっかり)」
右京之介「お前、ちゃんとマジメに探したのか」
稲葉小僧「……どうもなア、オレ、調子がおかしいんだ。
 なんだか、ブン、ブン、ブン、ブン、クマンバチがうな
 ってるような音が聞こえてみたりよ、で、そっちの方へい
 くと、フッと消えるんだなア。おかしいんだよ」
  首をひねりひねり、寝床にもぐりこみ、フトンを頭か
  らかぶってしまう。
シャグシャイン「!?……」
紅「(右京之介に)玄白さんにみてもらったほうがいい
 んじゃないかしら」
右京之介「お医者様でも、草津の湯でも、この病いはなお
 らないな」
シャグシャイン「……」
  そっと、懐からムックリをとり出す。
  ブン、ブンとひきはじめる。
  稲葉小僧、とびおきた。
稲葉小僧「うアッ! また聞こえるよオ!」
シャグシャイン「この音が、聞こえたのですか」
稲葉小僧「あ、ああ……」
シャグシャイン「チョクンナだ!」
「天下御免 【其の二】」 早坂 暁 大和書房 1986.7.5

32. 『田舎の教師(せんせい)』カムマーン・コンカイ / タイ 1978
"Khruu Baannook" Khammaan Khonkai / Thailand [2009.1 up]
 数人の友人や教官たちと共同して、この東北地方農村民芸展の開催を完全に成功させた一員として、彼はこの展示会に誇りを抱いていた。しかし彼は何にもまして、東北地方の民芸文化と称するものに、大いなる誇りを持っていたのである。めし籠(クラティップ・カーオ)、魚籠(コーン)、もんどり(サイ)、水汲籠(クル)、かご(タクラー)、米置かご(クラブン)、円箕(クラドン)のような竹で編んだ細工物であろうと、模様織枕(モーン・キット)、模様織腰布(シン・ミー)、絹のサローン、馬白布(パー・カーオマー)の如き織物、編み物類であろうと、はたまた笙(ケーン)、東北タイ・マンドリン(スン)、東北タイ・シロフォン(ポーン・ラーン)、口琴(フーン)、四つ板(マイ・カップケップ)と呼ばれるような楽器類であろうと、これらの物はもう何回となく歩いて見て廻ったのであるが、それでもまた見に来ずにはいられなくなるのである。
「田舎の教師」 カムマーン・コンカイ 冨田 竹二郎 訳 井村文化事業社 1980.1.20

33. 『ムックリを吹く女』 谷川 俊太郎 / 日本 1961
"Mukkuri o Fuku Onna" Tanikawa Shuntaro / Japan [2009.2 up]
 夕暮。残照が浜にひきあげられた舟のへさきに座って、ムックリを吹くレラを照らしている。
 (S・E)
 波音、そしてムックリ。
 (と、どこからか、少年の声がひびいてくる)
少年「仔鹿の背中に
 太陽が光の粉をまぶしてゆく
 いいにおいのする羊歯の葉が
 今日の俺の寝床だ
 出ておいでセキレイ 俺の妹
 おまえのよく動く尾羽で
 俺の顔をあおいでくれ」
 (レラ、ムックリを吹きやめて)
レラ「誰、そこにいるのは」
「シナリオ」 1961年12月号 社団法人シナリオ作家協会 1961.12.1

34. 『ナマコの眼』 鶴見 良行 / 日本 1990
"Namako no Me (Eyes of Sea Cucumber)" Tsurumi Yoshiyuki / Japan [2009.3 up]
 セイラム船は、ナマコの採取と加工の代償として何を与えたのだろうか。クックの“行商航海”が扱ったタパ布や赤い羽にとって代ったのは、どんな物産だったのか。
 一八三三年、フィジーでナマコの採取と加工に従事したセイラムのエメラルド号には、次のような品物があった。
 釣り針、指輪、かみそり、やすり、鉄のインゴット、のみ、きり、葉タバコ、シガー、マスケット銃、弾丸の鋳型、眼鏡、はさみ、ポーランド製の鐘、ユダヤ式ハープの楽器、ナイフ、斧、ピストル、雷管。この総額、一万五二五〇ドルだった。
 セイラムの商人たちは、遠くはるけき太平洋のナマコ交易に、かなりの投資をしていたのである。
「ナマコの眼」 鶴見 良行 筑摩書房 1990.1.30

35. 『明治事物起源』 石井 研堂 / 日本 1944
"Meiji Jibutsu Kigen" Ishii Kendo / Japan [2009.5 up]
 ○ビアボン 明治中期に行はる。丈三、四寸ばかりヨの字形の鉄にてこれを前歯にてくはへ、その中央の弱き線端を右手の掌にて弾きながら、同時に息を吹き、ビアボンビアボンと発声せしむる玩具なり。
「明治事物起源7」 石井 研堂 ちくま学芸文庫 筑摩書房 1997.11.10

36. 『イクタハラ太陽系』 原子 修 / 日本 1995
"Ikutahara Taiyou-kei" Harako Osamu / Japan [2009.7 up]
 草むらで、みどりいろの髪の女の子が、うたいおわると、ササのくきでつくった楽器をくちにあて、びょんびょんと、かなではじめました。
 なんてすばらしいのでしょう。
 つい、チュプおじさんの手をとって、ラタッタニは、おねがいしたのです。
 「ぼく、岸にあがって、あの子と、すこし、おはなししてもいい?」
 レラ号の帆綱をぐっとしぼりこんで、チュプおじさんが、いいました。
 「いいとも、いいとも。いっといで。レラ号の帆は、ちょっとのあいだ、時間ではない時間のほうに、しぼりこんでおくからね」
 ヨットは、羽根をとじた蝶のように、とまりました。
 「ありがとう、チュプおじさん」
 ラタッタニは、岸におりました。
 女の子が、楽器をくちからはなし、びっくりして、こっちをみています。
 「こんにちは」
 ラタッタニが、声をかけました。
 「こんにちは」
 女の子が、とてもていねいに、あいさつしました。
 「ぼく、ラタッタニ。だれがつくってくれたのかわからない、白樺の人形です」
 「わたし、トムトムキキル・ニンニンケ。蛍蛍というの」
 ふたりは、すぐ、なかよしになりました。
 「ねえ、トムトムキキル・ニンニンケちゃん。その楽器、なんていうの?」
 「ムックリよ。ラタッタニちゃんも、音をだしてみたら?」
 「うん」
 川のほとりにおいしげっているイ
タラのくきでつくった、ほそくちいさな楽器は、くちにあて、糸をひっぱってふるわしますと、いつのまにか、くちじゅうが楽器のように共鳴して、それはふしぎなひびきがうまれでるのでした。
 タラと、そこにすむ人の息との、なんてうつくしいであいでしょう、なんてすばらしいしらべでしょう。
 かなでおえ、ムックリをかえそうとするラタッタニに、トムトムキキル・ニンニンケは、いったのです。
 「このムックリ、あなたにあげるわ。わたしのこと、おもいだしたら、きっと、かなでてね」
 「ありがとう、トムトムキキル・ニンニンケちゃん。
 でも、きみのムックリは?」
 すると、トムトムキキル・ニンニンケが、りょう手をひろげて、川のまわりの、いちめんいちめんの、イ
タラのしげみを、だきしめるように、いいました。
 「ほら、ねえ、この、いっぽんいっぽんのササが、ぜんぶ、わたしの楽器なのよ。
 いつまでも、いつまでも、なりやまない、音楽なのよ」
 そうか、と、ラタッタニは、おもいました。
 イ
タラペッも、ムックリなんだ。
 ササのこころが、水となって、ながれ、人の息とであって、うつくしいしらべをかなでる、いつまでも鳴りやまない、ムックリなんだ。
「北のメルヘン イクタハラ太陽系」 原子 修 生田原町 1995.12.10

37. 『旅の道づれ』 アンデルセン / デンマーク 1835
"Reisekammeraten (The Travelling Companion)" Hans Christian Andersen / Denmark [2009.8 up]
 …広間のまん中に玉座がありましたが、それは、四頭の馬の骸骨(がいこつ)の上にのっていました。くつわは、あかい火のクモでできていました。玉座そのものは乳色のガラスで、クッションは、たがいに尻尾をかみ合っているたくさんの小さな黒ネズミでした。玉座の上の天蓋(てんがい)は、バラ色のクモの巣でした。それに、宝石のようにきらめくきれいな緑いろの小さいハエがちりばめてありました。さて、この玉座には、年寄りの魔物が、みにくい頭に冠をかぶり、手に笏(しゃく)を持って、すわっていました。魔物はお姫様の額にキスをして、自分のそばのりっぱな椅子に腰をかけさせました。やがて、音楽が始まりました。大きな黒いキリギリスがハーモニカを吹きならすと、フクロウは、自分の太鼓がないものですから、そのかわりに自分のおなかを打ちました。こんなおかしな合奏ってありません!
「完訳 アンデルセン童話集 1」 大畑 末吉 訳 岩波文庫 1984.5.16
 註) これまで「今月の口琴文学」では、翻訳されたものに関しては「ユダヤ式ハープの楽器」「ユダヤ琴」などの誤訳も原文のまま紹介してきた。これは、さまざまな邦訳が存在するという事実をまず提示するべきであろうと考えるからである。また、この程度の誤訳であれば、本来口琴を意味していたことが容易に想像がつくからでもある。しかし、この「旅の道づれ」の場合には、注釈が必要だと思う。
 あまりにも有名なアンデルセン童話、その中でもあまり知られていない「旅の道づれ」ではあるが、口琴が登場するにもかかわらず、デンマーク語原文mundharpeに対して「ハーモニカ」は明らかに重大な誤訳である。このような、翻訳者の力不足によって、口琴の存在が消されてしまった翻訳版の幻の口琴文学は、世の中にどのぐらい存在しているのだろうか?(直川礼緒)

 補足) 以下は大分在住のデンマーク人Jonas Vognsen氏による。
  現代のデンマーク語では、mundharpeは「ハーモニカ」と「口琴」双方の意味を持ちます。しかしながら、「旅の道づれ」が書かれたのは1835年であり、私が読んだ「ハーモニカは1820年ごろオーストリアで発明された」とする記事が正しいとするならば、アンデルセンの頭の中にあったのは、より歴史の古い口琴であった可能性が高い、と言えるでしょう。[2010.11.15]

38. 『偽金鑑識官』 ガリレオ / イタリア 1623
"Il Saggiatore (The Assayer)" Galileo Galilei / Italy [2009.9 up]
 …声を作りだすやりかたは、もはやこれ以上あるはずがない、とかれが考えたのは、これまで話したやりかたのほかに、実にいろんな種類のオルガン、トランペット、横笛、弦楽器、さらには、例の鉄の舌を歯のあいだにつるし、共鳴胴としては口腔(こうくう)を、音の媒体としては息を使う変わったやりかたまで、観察してのちのことでした。
「偽金鑑識官」 ガリレオ 山田 慶兒 谷 泰 訳 中公クラシックス 2009.5.10

39. 『へスペルス あるいは四十五の犬の郵便日』 ジャン・パウル / ドイツ 1795
"Hesperus oder 45 Hundsposttage (Hesperus, or Forty-five Dog-post-days)" Jean Paul / Germany [2009.10 up]
 私は犬の郵便のフランツ・コッホという名前を聞いて飛び上がった。私の読者の一人がカールスバートの湯治客であったり、プロイセンの国王陛下ヴィルヘルム二世、あるいはその宮廷出身、あるいはザクセンの選帝侯、あるいはブラウンシュヴァイクの公爵、あるいは別の公爵であらせられたら、この良きコッホのことをお聞きであろう、彼は謙虚な退役軍人で至る所その楽器をもって旅して回り、演奏している。この楽器は彼が二重のハーモニカと呼ぶもので、同時に演奏される――口琴あるいはビヤボンの改良されたペアから成り、これらはいつも演目に応じて取り替えられている。彼の口琴の操作は昔のそれと比べると従者の呼び鈴に対するグラスハーモニカの関係である。空想が鷦鷯(みそさざい)の翼を有する、あるいは少なくとも心臓から石の胎児である、あるいは鼓膜をその上で太鼓をたたく為にしか用いないこのような私の読者に、礼拝室を余り有しないこのような私の読者に、上述のフランツがやって来て彼らの前でハミングしようとしたとき、彼を家から投げ出すようにさせてしまうのは私が悪いのである。誰が悪いのでもないからである。どんな惨めなヴィオラでも木琴でも思うにもっと音が大きい、そう、彼の音はとても小さくて、カールスバートでは一度に十二人以上では演奏しなかった、それ以上では十分に近寄って座ることが出来ないからで、その上メインの歌のときには目や耳が空想の邪魔にならないよう明かりを遠ざけさせている。――しかし勿論読者が別で――例えば詩人で――あるいは恋する者で――あるいはとても繊細で――あるいはヴィクトルのようで――あるいは私のようであれば、ためらいもなく静かな溶けていく魂をもってフランツ・コッホに聞き入るがいい――あるいは丁度今日は彼は得られないであろうから――私に聞き入るがいい。
「へスペルス あるいは四十五の犬の郵便日」 ジャン・パウル 恒吉 法海 訳 九州大学出版会  1997.4.15

40. 『竹の息子たち(イ族)』 君島 久子 / 中国 1983
"Take no Musukotachi (Sons of a Bamboo)" Kimishima Hisako / China [2009.11 up]
 地表の水はもうすっかりひいて、川は山あいを流れています。両岸の山々には、剣(つるぎ)のようにとがった峰(みね)がそそりたち、岩はまるで積みあげた肉塊(にっかい)のようです。娘は心細くなって、はらはらと涙(なみだ)をこぼしました。
「かあさん、とうさん、どこにいるの」
 叫(さけ)び声が山々にこだまし、悲しげな声がむなしく返ってくるばかり。天に向かって叫んでも、天がこたえるはずもなく、人びとの名を叫んでも、何の返事もありません。
 娘(むすめ)は気をとりなおして、髪(かみ)の毛の中にしまっておいた口弦(こうげん)(くちびるに押(お)しあててならす小さな楽器)を出すと、ならしはじめました。

 神ならぬ身で、
 この世にひとりとりのこされ、
 青竜(せいりゅう)にのって海を渡(わた)り、
 はからずも天庭を訪れる。
 天は父、地は母、
 百鳥はわが友、
 竹よ、
 イ族を救う心があるなら、
 天橋をかけて、
 わたしを岸にかえしておくれ。
 
 悲しげな口弦(こうげん)の調べは竹を感動させました。竹はぶるっと二度体をふるわせ、ゆっくりとのびて行ったかと思うと、川を横ぎる弓形のそり橋となりました。娘(むすめ)はうれしさのあまり涙(なみだ)を流しながら、その橋を渡(わた)って川の南岸につきました。
「中国の神話 天地を分けた巨人」 君島 久子 筑摩書房  1983.2.25

41. 『縮尻鏡三郎』 佐藤 雅美 / 日本 2002
"Shikujiri Kyouzaburou" Sato Masayoshi / Japan [2009.12 up]
 この時期、江戸では琵琶音(びわおん)という鉄で拵(こしら)えた笛が流行し、こんな落首が捻(ひね)られた。
  琵琶ぼんを吹けば出羽どん出羽どんと
   金がものいう今の世の中
 琵琶ぼんと出羽どんは単なる語呂合わせで、出羽守が幅を利かせるようになってから、金がものをいう、賄賂が横行する時代になってしまったという意味の落首だ。
 おなじころこんな落首も捻られた。
  水の(出羽守)でて元の田沼となりにける
   そろそろとにうつる水の影
 田沼は田沼主殿頭意次、柳は五代将軍綱吉に寵愛された柳澤出羽守吉保(よしやす)のことで、意味はおなじ。側近政治と賄賂の横行が復活したといっているのだ。
 たしかに出羽守は賄賂を取り込んだ。鷹揚に賄賂を受け取った。ただし、必要とあらば惜しげもなく使った。上京しての運動費はすべて自腹を切った。家斉から持たされた三千両には一銭も手をつけなかった。江戸に戻ってそっくり返した。
「縮尻鏡三郎 下」 佐藤 雅美 文春文庫  2002.6.10

42. 『コタン探訪記』 イサベラ・エル・バード / イギリス 1911
"Unbeaten Tracks in Japan" Isabella L. Bird / UK [2010.1 up]
 彼らはややギターに似た点のある楽器を持っているが、これには三本、五本あるいは六本の絃がついていて、この絃は浜辺に打ち上げられた鯨から取った腱で作る。このほか彼ら特有の楽器を持っているが、これには長さ五吋、巾二吋半程の薄い木片からなり、巾六分の一吋、長さ、吋三分の一程の木製台がついていて、三方に溝が彫ってある。口の前にその木片を当てると歌う時の呼吸の振動でその木舌が動くのである。その音はユダヤ人のハープのような不協和音であるが、それよりも低くややその音に似ている。男達の中の一人はそれを使って歌の伴奏をしていた。しかし彼らはそれを使いたがらぬ、というのは木舌に適するような立派な木片を見つけるのは極めて難しいからである。
「北海道ライブラリー 7 コタン探訪記」 イザベラ・エル・バード 神成 利男 訳 北海道出版企画センター  1977.8.5

43. 『二十世紀の石器人』 ピーター・マシースン / アメリカ 1964
"Under the Mountain Wall: A Chronicle of Two Seasons in the Stone Age" Peter Matthiessen / USA [2010.2 up]
 控え所では、アローロが小さな口ハープをかなでていた。クーレルウー族で唯一のこの楽器は、高低二つのキーから成っていた。これは二つ割りにした竹を火打ち石のかけらでけずり、すじばった草を紙やすり代りにしてつるつるに磨き上げる。割れ目の中央に下へ向けて楽器の舌を切り、繊維のひもを一本低部に結びつける。このひもを短く引っぱると口ハープは振動音を出し、演奏者の口腔がそれに共鳴する仕掛けになっていた。
 びっこのアローロは放心したように野原を見つめてかなでた。そこにはメロディーというようなものはなく、ただ上ったり下ったりする一連のリズミックな音程があるだけだった。彼の発するか細いひびきは、明るいま昼の騒音のなかではほとんど聞きとれなかったが、彼の心の奥底から出てくる邪悪なこだまのように不気味だった。
「二十世紀の石器人」 ピーター・マシースン 大門 一男 訳 文藝春秋新社  1964.8.20

44. 『鶏と人』 秋篠宮 文仁 編著/ 日本 2000
"Niwatori to Hito" Akishinonomiya Fumihito / Japan [2010.3 up]
ハニ族にも特有の古い楽器がある。小さな胴に長い棹のついた三弦は、ハニ語で「ラフ」とよばれ、胴の部分にはミズオオトカゲの革が張られている。「口琴」は「ジャウ」とよばれ、口に当ててはじき音を出す竹片である。
「鶏と人」 秋篠宮 文仁 編著 小学館  2000.6.1

45. 『「口弦琴」についての伝説』 喩 金良 / 中国 2002
"Kougenkin ni tsuite no Densetu (Legend about the Jew's Harp)" Yu JinLiang / China [2010.5 up]
 …不幸にして村中の人が皆天然痘で命が奪われました。ただ呉老人が一人残ったので孤独になり、苦しみ、部屋が空っぽで、馬群の世話をする人がなく、鶏や豚などを飼う人もいませんでした。老人はこんな情景を見る度に泣きたくて堪りませんでした。しまいに老人は泣いてばかりしていたのでとうとう涙がかれて出ませんでした。しかしどうしても苦しみと悲しみはとり除けなかったので「口弦琴」を作りました。これを吹いて自分の悲しい気持ちを表そうとしました。老人が吹き出すと、非常に悲しく馬も静かに耳を立てて聞き、鶏や豚、花や木々も同情の心を寄せました。
 このように老人は終日「口弦琴」を吹いて各村を廻り、人々はその音(ね)を聞いて涙を流しました。「口弦琴」はこのようにして伝えられて来たとのことです。
 従ってこれを聞いたら過去のことを思い出し、悲しくて堪まらないからこれを吹く人は少ないようです。
 後に娯楽とホジェン族の記念物として、憂いやうさ晴らしに使うようになりました。
「中国赫哲(ホジェン)族の物語」 喩 金良 訳 [] 志強 監訳 高 雲山 竹中 良二 訳 日本僑報社  2002.7.4

46. 『水の子どもたち』 キングズリー / イギリス 1863
"The Water-Babies" Charles Kingsley / GB [2010.8 up]
 彼らはみんな音楽が大好きだった。でも、ピアノやバイオリンのようなめんどうな楽器を習う気はなかった。ダンスみたいな、からだをうんとうごかすものもやりたがらなかった。彼らがするのは、一日じゅうアリ塚の上にすわって、ビヤボンを鳴らすことだけだった。アリにかまれたら? なんのことはない、立ちあがってとなりのアリ塚に移るだけだ。そこでかまれたら、またつぎにいく。
「水の子どもたち[下]」 キングズリー 芹生 一 訳 偕成社文庫 1996

47. 『我がツンドラ』 オグド アクショーノワ / ロシア連邦タイムル自治管区
"My Tundra" Ogdo Aksenova / Taimyr Autonomous Okrug, Russia [2010.9 up] 
競いあうような歌声が
次から次へと流れ出る
夜ごとにクラブに集まれば
鳴り響く鈴の音に退屈を知らず
歌声がはずみ バルガンの調べも
ほとばしり出て 楽しく過ごす
「ロシア語-ドルガン語会話帳」 バルボーリナ・アンナ、アルテミエフ・ニコライ、藤代 節 九州大学大学院人文科学研究院言語学研究室 2007.3.31

48. 『ユリシーズ』 ジェイムズ ジョイス / アイルランド 1922
"Ulysses" James Joyce / Ireland [2010.10 up]
 ただ独りで、ブルームは何を聞いたか?
 天に生れた地球の上を遠く去り行く足音の二重の響きを、鳴りわたる小路にユダヤ人の琴の二重の震えを。
「ユリシーズ IV」 ジェイムズ・ジョイス 丸谷 才一・永川 玲二・高松 雄一 訳 集英社文庫 2003

49. 『続 若草物語』 L・M・オルコット / アメリカ 1869
"Good Wives" Louisa May Alcott / USA [2010.11 up]
「ユダヤハープはどうしたの、ジョー?」声が届くあたりまで近づくやいなや、ローリーは叫んだ。
「忘れてきたわ」と言ってジョーは勇気をとりもどした。あの挨拶ぶりはいっこうに恋人らしくはない。
「続 若草物語」 L・M・オルコット 吉田 勝江 訳 角川文庫 1987/2008

50. 『逢ひ引きの唄』 工藤 梅次郎 / 日本 1926
"Aibiki no Uta (Song of Courtship)" Kudo Umejiro / Japan [2011.1 up]
 コタンでは雨の降る日は、カムイのお怒りの日ぢやといつて、何事も休息して謹慎する習慣であつた。
 それが却つて若者達に取つては、ある意味に於て楽しいひであつた。保険づきの日であつた。
 ともすれば、繊細な気分になり勝ちなコチブシヨエは、雨降りの日などには、亡くなつた母が遺したムツクン(口琵琶)を取出して心を慰めてゐた。
 ペチカもムツクンは大好きであつた。
 コチブシヨエの鳴らすムツクンの音が、彼女の魂の奥底にまで喰ひ入るやうに響かせた。
 『ほんとうに、好い響きですわ!』
と、ペチカはうつとりとしたことは、一度や二度ではなかつた。かうした雨の日に二人の恋仲は進展して行つた。
「アイヌ民話」 工藤 梅次郎 工藤書店 1926

51. なぞなぞ・ことわざ特集 1 サハ
Riddles & Proverbs 1 / Sakha [2011.2 up]
空洞の切り株の中(上)に雲雀(小鳥)が歌っているそうだ。 ―ホムス
"Саха Таабырыннара" С. П. Ойунская (ed.) Саха Сиринээ5и
Кинигэ Издательствота 1975 <翻訳:Nadya Popova>

52. なぞなぞ・ことわざ特集 2 サハ
Riddles & Proverbs 2 / Sakha [2011.3 up]
よい声を持った豪胆な人、話の上手な若者がいるそうだ。 ―ホムス
"Саха Таабырыннара" С. П. Ойунская (ed.) Саха Сиринээ5и
Кинигэ Издательствота 1975 <翻訳:Nadya Popova>

53. なぞなぞ・ことわざ特集 3 サハ
Riddles & Proverbs 3 / Sakha [2011.4 up]
身の中でことこと、ポケットの中でひそひそ。 ―ホムス
"Саха Таабырыннара" С. П. Ойунская (ed.) Саха Сиринээ5и
Кинигэ Издательствота 1975 <翻訳:Nadya Popova>

54. なぞなぞ・ことわざ特集 4 バシコルトスタン
Riddles & Proverbs 4 / Bashkortostan [2011.5 up]
あなたの顔に顔を向けてる、
舌を引っ張ると飛んで戻る。 ―クブィズ
"Башкорт халык ижады. 7- се том.  мэкэлдэр、эйтемдэр、ырым-ышаныузар、йомактар (Башкирское народное творчество. T.7. пословицы、поговорки、приметы、загадки)" Ю. Андрианов (ed.)
Китап 1993 <翻訳:Nadya Popova>

55. なぞなぞ・ことわざ特集 5 キルギス
Riddles & Proverbs 5 / Kyrgyz [2011.8 up]
テミル コムズの演奏を聴いて育った子は明るく能弁、
一度も聞いたことのない子は陰気で無口
"Tемир комуз мектеби" Римма Мадварова、Андрей Кузнецов
Мектеп 1988 <翻訳:Nadya Popova>

56. なぞなぞ・ことわざ特集 6 トゥヴァ
Riddles & Proverbs 6 / Tuva [2011.9 up]
3人の兄弟、
真中が一番話が上手 
 ―デミル・ホムス
"Хомус в традицонной культуре тувинцев" Валентима Сузукей
ТИГИ при Правительстве РТ 2010 <翻訳:Nadya Popova>

57. なぞなぞ・ことわざ特集 7 サハ
Riddles & Proverbs 7 / Sakha [2011.10 up]
ホムスを見る、ホムスを演奏する
 ―大きな達成、もしくは、何か驚くほど思いがけないところからの喜び
"ТYYл: билгэ, сYбэ(夢占い)" КYн Куйаарыма
Бичик 2010 <翻訳:Nadya Popova>

58. なぞなぞ・ことわざ特集 8 サハ
Riddles & Proverbs 8 / Sakha [2011.11 up]
壊れた、または錆びたホムス
 ―涙が出る、悲しみ
"ТYYл: билгэ, сYбэ(夢占い)" КYн Куйаарыма
Бичик 2010 <翻訳:Nadya Popova>

59. 『虹の谷のアン』 L.M.モンゴメリー / カナダ 1919
"Rainbow Valley" L. M. Montgomery / Canada [2011.12 up]
 ウナは二階にあがっていった。カールとフェイスは、昇ってきたばかりの月の光に照らされて、もう<虹の谷.>にむかっていた。ジェリーが鳴らすジューズハープが、まるで妖精の奏でる音楽のように聞こえてきたので、ブライス家の子どもたちが来ていて、楽しく遊んでいるのがわかったからだ。
「虹の谷のアン」 L.M.モンゴメリー 掛川 恭子 訳 講談社文庫 2005

60. 『氷山の南』 池澤 夏樹 / 日本 2009-2010
"Hyozan no Minami" Ikezawa Natsuki / Japan [2012.9 up]
 「その小さなケースの中は何?」とドクターが聞いた。坐ったまま指さしはしても自分では手に取らない。
 アイリーンが開けて中身を並べた。
 ボールペン、鉛筆、付箋、小さな電卓、その他こまごましたもの。
 竹でできた小さな薄い板が出てきた。複雑な切り込みがあり、両端に紐が付いている。
 「これ、何?」とアイリーンが聞いた。
 彼は黙ってそれを取り、口に当てた。
 ビョンビョンビョンビョンブュンブュンブュンビュインビュインビュインビュイン……
 「楽器なのね?」とアイリーンが嬉しそうに言った。
 「ジューズ・ハープでしょ」とドクターはつまらなそうに言う。
 「英語ではそうですね。でもこれはムックリです。ぼくの民族の楽器です」
 「民族って、きみは日本人ではないのか?」と族長が身を乗り出して聞いた。
 「ぼくはアイヌです」
「氷山の南」 池澤 夏樹 文藝春秋 2012

61. 『草原と砂漠のモンゴル』 関野 吉晴 / 日本 2003
"Sogen to Sabaku no Mongoru (Mongol)" Sekino Yoshiharu / Japan [2014.1 up]
 初産の場合、子ラクダが乳を飲もうとすると拒絶する母ラクダもいます。昨年、ハグアさんのラクダにもそんな母親が二頭いました。「そんなときには、ラジオで音楽をきかせたり、女たちが『ホーホー』とかけ声をかけたりするんだよ。そして、母ラクダの乳房のところに子ラクダを持っていく。しばらくすると母ラクダは涙を流して、子ラクダに乳を飲ませはじめるんだ。みんなでリラックスさせるんだよ。ラクダはデリケートで、人間のような感情をもった動物なんだ」
 ハグアさんの話をききながら、ウランバートルのラクダ博物館で見たビデオを思い出しました。母ラクダが死んでしまった子ラクダのビデオでした。
 母親がいなくなったので、飼い主は出産したばかりのほかの母ラクダに乳をもらおうとしました。ところが、その母ラクダは自分の子にしか乳をあたえません。困った飼い主は、近所の長老に相談しました。長老が解決策を教えてくれました。
 まず、母ラクダの背に馬頭琴という楽器をのせます。次に男が、母ラクダの耳元で口琴を弾きます。母ラクダは悲しい旋律にききいっています。女たちが母ラクダに近寄って、歌をうたいながら、首や肩や背をやさしくさすります。もうひとりの男も馬頭琴を演奏しはじめました。しばらくすると、ラクダの目に大粒の涙が浮かびました。そのようすを見た女たちが、母親を亡くした子ラクダの頭をラクダの乳房の下に入れました。こんどはラクダは子ラクダを素直に受けいれて、乳をあたえました。モンゴル人の友人はこのビデオを見て、もらい泣きしたといいます。ぼくも感動しました。
 ラクダは音楽を理解するのです。これは、ラクダに対する音楽を利用した心理療法なのでしょう。ぼくはこの光景をぜひ見たいと思っていました。
「草原と砂漠のモンゴル グレートジャーニー 人類5万キロの旅12」 関野 吉晴 小峰書店 2003

62. 『森の回廊』 吉田 敏浩 / 日本 1995
"Mori no Kairou" Yoshida Toshihiro / Japan [2014.2 up]
 九月九日、リス―人の住むパープー村で、民族衣装を着、黒ターバンを巻いた娘が、竹の口琴(こうきん)を奏でるのを聞いた。
 口琴は、まず竹を割り削って、長さ約一二センチ、幅一センチあまり、厚さ約五ミリの竹べらをつくる。その真ん中につけねを残した舌状の部分を切り出す。片手で竹べらの端を持ち、横にして中央部を口にはさむように当て、先端をもう一方の手の指ではじくと、舌状部分が振動し、その倍音が口のなかで共鳴する、ヴィーン、ヴィーン、ヴィーンという単調な音が響く。アイヌ民族が使うムックリの音に似ている。口琴はアジアに広く分布する原初的な楽器だ。
 土間の榾(ほた)の火の前で、娘は三本いっしょにして無心に指ではじいた、うねりをおびた調べは、虫の羽音にも竹の精のささやきにも聞こえた。行軍に疲れた兵士もわたしも、黙って耳を傾ける。雨にぬれた軍服から水蒸気が立ちのぼる。
 開け放たれた扉から、雨と霧の風景が見える。子どもや鶏や豚の声に、踏み臼の規則正しい音が交わる。長太い竹筒から水を出すときの、ゴロン、ゴロン、という響き。雨だれの音。焚き火がはぜる音。口琴の音色はそれら暮らしと自然の音に共鳴してとけ合う。
 薄暗い屋内で火にあたりながら聞いていると、地面につけた足の裏からなんともいえぬ、ほっとするような気持ちが湧いてくる。兵士たちは郷愁を感じるのだろうか、誰もが無言のままである。口琴は、焼畑で若い男女が即興の恋の掛け合い歌を交わすときに、よく奏でられるという。
「森の回廊 上」 吉田 敏浩 NHKライブラリー 2001

63. 『セレベス民俗誌』 グルーバウエル / ドイツ 1923
"Celebes, Ethnologische Streifziige in Sudost-und Zentral-Celebes" Albert Grubauer / Germany [2014.3 up]
 此森林地帯を後にしてからの道は日蔭が無かつた。木の伐り倒されて焼かれた畑を通つて、森の在る山に圍まれた、廣濶な高原の谷へと來た。此處がセスSeseであつた。これはトウチ湖Towutiに行くに最終の驛村なのだ。
 この小さい村で土俗學的に何か特別な事があらうとは思はれなかつた。それだけに此地で新しい品物を見受けるのは私には喜びであつた。その中に此地でスムピSumpi(マライ語でスムピタンSumpitan)と呼ばるゝ竹製の吹筒は、最上の作であつたし、又私は此地でセレベスに於て初めての口太鼓(ンゴイN'goi)を求め得たのであつた。
「セレベス民俗誌」 グルーバウエル 清野 謙次 訳 小山書店 1944

64. 『花嫁の入れ墨・珍しい風習』 謝 新發 / 台湾 1983
"Hanayome no Irezumi, Mezurashii Huushuu" Xie Sanfat / Taiwan [2014.5 up]
 まるい月が山の背にさしかかったころ、兄は野原に寝そべって、嘴琴(しきん)を無心にならす――静寂(しじま)そのものの闇につつまれた夜に、哀切なメロディーは流れて融ける。妹は兄の彫りが深い横顔を、木陰からあかず見つめていた。
 その妹に、兄はおどけた表情をみせ、
 「おお、こわい!お前の目には妖しい炎が燃えている。あちらへ行っておくれ」
 わざとらしく、顔をそむけた。
「高砂族の知られざる宝庫」 謝 新發 (出版社不明) 1983

65. 『タイ民芸紀行』 野間 吉夫 / 日本 1978
"Thai Mingei Kikou" Noma Yoshio / Japan [2014.6 up]
 山地民の部落を訪れると、いずれのところでも大人や子供たちまで彼らの手作りの品物を持ちよって、買ってくれと集まってくる。それはちょっと見た目にはカラフルで珍しいものがあるが、単なるお土産品の
域から出ないものが多い。その点この口琴やクラップは彼らの生活につながる本物であるが、誰もあまりふり向かないようであった。
 口琴は長さ一〇センチあまりの竹片に、六、七センチほどの矢筈形の切れ目を入れただけの単純な楽器である。これを唇にあてて鳴らすと、息の出し入れによって微妙にl音が変わるのである。わたしは月のある夜、これを鳴らしている少年の姿を想像した。叢で虫のすだくようなかすかなしらべであった。アカ族やヤオ族などでは、若い男がガールハントにこれを使っているそうで、恋人たちは互いに顔を近づけ耳をすませてこのかすかな音に聞き入るという。これはアイヌの「ムックリ」に似ている。また材質こそ違うがインドには「チャング」(鉄製)があり、これと同類はその他にも広く分布しているようである。
 またこれを入れる長さ一五センチクダイの木筒も大へん洒落たもので、淡紅色に塗られて一見無地のようであるが、よく見るとインドネシアの矢筒に見るような細かい線彫りがしてある。この模様は一つ一つに意味があり、それは彼らの世界観が表現されているという。
「タイ民芸紀行」 野間 吉夫 東出版 1978

66. 『英国一家、日本を食べる』 マイケル・ブース / 日本 2013
"Sushi and Beyond: What the Japanese Know about Cookiong" Michael Booth / Japan [2014.11 up]
 店の人は、 アスガーとエミルにプレゼントがあると言って、ウールで編んだ袋からきれいな箸みたいな棒を2本取り出した。そして、1本を口にくわえ、ビーン、ビーンという音を鳴らしてみせた。これは、ムックリという、いわば竹製のジューズハープ(口琴)のような楽器で、彼の演奏は見るからに手馴れていた。
「英国一家、日本を食べる」 マイケル・ブース 寺西のぶ子 訳 亜紀書房 2013

67. 『コタンの花嫁』 徳永 一末 / 日本 2000
"Kotan no Hanayome" Tokunaga Kazuma / Japan [2015.8 up]
 そして、一日が暮れた。
 だが、早朝から、ムツクリの稽古と言って駆け出して行ったテルが、帰らない、
 イヨは、心配になってきた。、
 夫(ニシパ)の、旅立ちにかまけて、何気なく出してやったが、
(おかしい?)
 イヨは、夕陽を眺めて小首をひねった。
 それを、サクが訝った。
 「どうしたの、お母(ハポ)」
 「テルが、戻らぬ」
 「そう言えば、今日は一日、姿が見えなかったが、表の家にいたのではなかったの」
 「ムツクリの稽古と言って、早朝から出て行ったきりだ」
 「早朝から、ですか」
「コタンの花嫁」 徳永 一末 健友館 2000

68. 『許されざる者』 司城 志朗 / 日本 2013
"Yurusarezaru Mono" Tsukasaki Shiro / Japan [2015.11 up]
 柏は落葉高木だが、秋になっても落葉しない。枯れ葉をつけたまま冬を越す。まるでおばけの群れのように、枯れ葉は枝から垂れ下がって行く手をふさぐ。馬上でかき分けかき分け進んでいくと、やがてアイヌ特有の音が聞こえてきた。
 集落の戸口にある家(チセ)の前で、若い娘がムックリを奏でていた。
 竹の薄い板に、二本の紐をつけたアイヌの楽器だ。竹を口にあて、紐をまわすようにして音を出す。ビヨヨン、ビヨヨンと聞こえる。口の形を変えると、ボヨヨン、ブヨヨンと音が変化する。風の音、雨の音、小熊の鳴き声を表すそうだ。
 十兵衛は馬をおり、手綱を引いて集落に入った。ニブタイにいた頃、ウララピリカもいつかムックリを聞かせてくれた。あの頃は平和だった。ムックリの音色は平和そのものだった。
「やめろ」
 怒鳴り声がして、若い男が家の中から出てきた。
「寝られねえ。辛気臭い音を立てるな」
 娘はムックリを奏でるのをやめた。娘というより、まだ子供だ。十三、四か。アイヌの女は年頃になると口のまわりに青い入れ墨を入れるが、それもない。
 娘は口をとがらせ、何か言い返そうとした。そこで十兵衛にに気づき、はにかみながら会釈した。
「許されざる者」 司城 志朗 幻冬舎文庫 2013

69. 『蝦夷国まぼろし』 夏堀 正元 / 日本 1995
"Ezokoku Maboroshi" Natsubori Masamoto / Japan [2016.5 up]
 アンジェリスが感動したのは、美しい詩のような韻律で歌う長老のユーカラの合間(あいま)に、アイヌ語で「ムックリ」と呼ばれる竹と糸だけでできた素朴な楽器の哀愁のある音色であった。あとで瀬川屋に訊くと、日本語では「口琵琶(くちびわ)」といっているということであった。
 びぃよん、びょぉーん、
 低音で鳴るその楽器は、古くアジアからヨーロッパにかけてあるものだったが、アンジェリスが聞いたものは鉄でつくられていて、アイヌのムックリのもつ哀切感は独特であった。
 それを上手に奏でたのは、唇のうえに薄い刺青をした若い女性であった。そしてまた、つぎに登場してムックリと合奏したのは、「トンコリ」という木製の絃楽器を弾く中年の女性で、彼女もまた唇に刺青をしていたのである。
 トンコリは五絃で、セントキのあまり上手とはいえない説明をさらに意訳すれば、支那(しな)から伝来した胡弓(こきゅう)を原形としているらしい。絃は蝦夷鹿の足の筋を干して糸にしたもので、これを指ではじいて音をだす。アンジェリスは、ロシアのバラライカがこれに似ているかな、と思っていた。
<和人たちは文字のないアイヌを未開の民として蔑んでいるが、ユーカラといい、これらの楽器の使い方といい、その文化度は相当に高いといわなければならない>
 そう思ったアンジェリスは、アイヌのもつ自然人としての魅力にますます惹かれていったのである。大自然のなかにあって自給自足で平和に生活を営む、一見温和なアイヌが、いったん事が起これば勇猛果敢な民族になることは、そのユーカラでもわかった。
「蝦夷国まぼろし」 夏堀 正元 光文社 1995

70. 『風の子レラ』 AKIRA / 日本 2001
"Kaze no Ko Rera" AKIRA / Japan [2016.6 up]
「シシャモには絶対負けられない」レラは自分自身にいいきかせた。
 祭のプログラムは盛りだくさんで、手作り楽器コンテスト、口琴(ムックリ)大会、弓や輪投げのコンテスト、子どもたちには運動会もある。レラはパン食い競争にのぞんだ。
「風の子レラ」 AKIRA 青山出版社 2001

71. 『餃子ロード』 甲斐 大策 / 日本 1998
"Gyoza Road" Kai Daisaku / Japan [2016.7 up]
 タシュクルガンではまず、旧知の馬蹄鍛冶アーメドを訪れた。
 老アーメドは、蹄鉄や馬具の鋼鉄部分、馬車の車輪の傍ら、「チャング」もつくった。身の丈一八○センチ以上のこの老トルクメンが、牛の前足のような太い腕で、掌に隠れてしまう小さな楽器を造る。アーメドは不機嫌な表情で、木の根のような人差指にそっくり乗ってしまう小さな鉄片を、チンチンチンチンと打ち出す。その「チャング」はアフガニスタン一だった。
「チャング」は、薄い鋼鉄の弁を指で弾き、口腔内にそれを反響させ、空気量の変化と舌の動きで音階と音質にバラエティを生む。
「ビィーン、ビィーン、ビン……ビィーン、ビン、ビン……」
 老アーメドの「チャング」を奏でると、風を編んだ音のように響いた。しかし名人にも出来不出来はある。アフガニスタン第一の「チャング」の、最高の一本が欲しくて私は、タシュクルガンを通るたび脇道に入り、老アーメドの仕事場に通ったものだった。
「あなたのチャングはアフガニスタンで一番だ。」
 決してお世辞ではなくそういったことがある。しかし老アーメドは微笑はおろか返事もしなかった。馬車を曳く馬であろうが、ブズカシの名馬であろうが、蹄(ひづめ)に合わせて鉄を打ち釘を打ってきたのであり、「チャング」だからどうということはないのだった。
「茶、飲むか?」
 小さなガラスのコップを金床の上にそっと置いて私に自分の茶をすすめたときの老アーメドの眼には、褒められてどうして良いか判らない困惑の光があった。
 私は、老アーメドの「チャング」を、この国の中だけではなく、世界的にも傑出したひとつだと信じている。
「餃子ロード」 甲斐 大策 石風社 1998

72. 『ボルネオ探検記 首狩り人種の打診』 小倉 C太郎 / 日本 1933
"Borneo Tanken-ki Kubikari Jinshu no Dashin" Ogura Seitaro/ Japan [2016.8 up]
 このやうに彼等は天性音樂が好きなので、いろ/\な種類の樂器を發明してゐる。
 ゲンダン 蛇や猿の皮を片側のみに張った太鼓。
 タワ ジャワから傳つて來た銅鑼、眞鑄で出來てゐる。
 ウリデイ 女が、口に咥へながら、弦を鳴らすやうに出來てゐる小さな樂器で、昔夫が出征する時、妻がこれを奏して別離を惜んだものださうだ。
 ゲルデイツト 日本の笙に似たもので、瓢箪に小さな竹筒がいくつもついてゐる。
 ガンボス 日本の琵琶に似た樂器。
 この外名前は忘れたが、胡弓の如きものや、鼻で吹き鳴らす奇妙な笛などもあつた。
「ボルネオ探検記 首狩人種の打診」 小倉 C太郎 南光社 1933

73. 『オホーツクの灯り』 安部 洋子 / 日本 2015
"Ohotsuku no Akari" Abe Youko / Japan [2016.12 up]
 おばあちゃんは大玉のネックレス。あんまりきれいなのでそっと首に掛けてみた。あまりの重さ、小さな私には無理。首が前に曲がっていき、背中が丸くなってとっととっとと前に走り出した。やっとの思いで止まったが咳はこんこん出るし、叱られるしではぁー。目が回った。
 トンコリ(弦楽器)に触ってみたが音が出ない。ムックリ(口琴)もスース―とするだけ。ばあちゃんのヘアバンドはビーズがきれいに並んでくっついている。ほしくて「洋子にも作って」とせがみ「後で作ってやるから」で終わった。
「オホーツクの灯り」 安部 洋子 橋田欣典 2015

74. 『八本脚の蝶』 二階堂 奥歯 / 日本 2006
"Happon-Ashi no Chou" Nikaido Okuba / Japan [2017.1 up]
口琴を買った。唇にはさんでバネを震わせるとぼよよんというかびゆゆんというような倍音がでる。唇の形や口の脹らませ方で色々変化が付けられる。

くちびるでふるえる音。微かな震え。天上から届くような。違う、空気そのものが振動しているかのような。耳をすまさないと聞こえないような。二人でいないと聞こえないような。心臓の音が聞こえるくらいの距離でないと聞こえないような。震えているの。聞こえます。聞こえますか? ここはあたたかくて、しずかで、そしてふしぎな音が聞こえるの。うれしい。うれしい。うれしい。
「八本脚の蝶」 二階堂 奥歯 ポプラ社 2006

75. 『中国大涼山イ族区横断記』 曽 昭[手+侖] / 中国 1982
"Chuugoku Dairyouzan Yi-zoku-ku Oudan-ki" Sou Shourin / China [2017.2 up]
青年はイ族のなかでも活発なほうで、イ族の口琴(イ語でLingo)を肌身はなさずもっている。この口琴はとても小さく、竹製で、内側には銅片がついていて、かるく吹くと鳴る。口琴の音は単調だが、たいへん優雅だ。
「中国大凉山イ族区横断記」 曽 昭[手+侖] 八巻 佳子 訳 築地書館 1982

76. 『シレトコ半島の漁夫の歌』 更科 源蔵 / 日本 1943
"Chuugoku Dairyouzan Yi-zoku-ku Oudan-ki" Sou Shourin / Japan [2017.3 up]
流木が囲む漁場の煙
焚火にこげる[魚+完](サクイペ)の腹
わびしくランプともり
郷愁に潤む漁夫のまなじり

火の山の神(カムイ)も滅び星は消え
石器埋る岬の草地
風は悲愁の柴笛(モックル)を吹き
霧雨(ジリ)に濡れてトリカブトの紫闇に咲くか
「伊福部昭歌曲集」 内田 るり子 編 全音楽譜出版社 1971

77. 『紀伊物語』 中上 健次 / 日本 1984
"Kii Monogatari" Nakagami Kenji /Japan [2017.4 up]
 路地の建物の切れ目のどこからも山が見え、山の樹木が微かに耳の底の方で響き、ふとビーンビーンと羽虫のような音が立つと思って見まわすと定男が小さな金具をくわえ指で鉄の弁を弾き音を立てている。定男は道子が珍らしがっていると気づいて、はじめて静子の血をひいた兄と妹だという感情がわきあがったように歯にくわえ唇でおさえてはじく中東の羊飼いらの楽器だと教えてから手渡し鳴らしてみろと言う。道子が上手く音を共鳴さすと、そのビーンビーンという音にあわせて、半蔵二世が、いままでの練習で一度も出てこなかった節廻しで、マザー、マザー、死のれ、死のれ、と歌い、定男を信行がハーモニーをつける。それは道子の耳には、路地の物や他所から来た女の子らが、「死のう団」の指示どおり一斉に毒を飲んで折り重なって死んだ後に鳴り続ける音に聞えた。
 踏み切りの方から道に出てまた細い家と家の間の道に入っても半蔵二世が歌う事をやめないので声をききつけた女らが窓をあけて見、子供らが駆け寄って来た。道子がビーンビーンと羽虫のように響く小さな鉄の楽器を口からはなすと、従いて来た子供の一人が、「おれにさせてくれ」と手を出す。道子が楽器を渡しかかると定男が、楽器を取り、「俺の商売道具の楽器じゃさか、人に貸せん」と言って、手を出したままの子の頭を一つぶつ。
「紀伊物語」 中上 健次 集英社 1984.9.10

78. 『ドローンとメロディー 東南アジアの音楽思想』 ホセ マセダ / フィリピン 1989
"Drone and Melody: Musical Thought in Southeast Asia" Jose Maceda / Philippines [2017.5 up]
 東南アジの楽器のあるものは、その演奏技法や構造・素材から、西洋の伝統楽器や電子音楽からはふつうきくことのできない音響特性を生むことになる。たとえば、筒型ツィターはそれ自体として竹のみが出せるような特異な音を発する。弦は指ではじいてもよいし、さまざまなサイズの桴で打ってもよく、それらの桴の重みで押さえて音を止めることも、一打ちごとに自由に振動させることもできる。中空の共鳴体を打つ音は、使用される竹の大きさと厚さや、共鳴体のかたちと開口部、打ち方、つかわれる桴やマレットの長さによって変化する。今やポピュラーな楽器となった口琴は、その構造によって音がちがう。さらに演奏者が下の位置によって音声や音素の構造を変化させるやり方がわかれば、その音のおどろくべき語彙を習得することができる。
「ドローンとメロディー 東南アジアの音楽思想」 ホセ マセダ 高橋 悠治 訳 新宿書房 1989.12.10

79. 『ムックリの歌』 和田 徹三 / 日本 1970
"Mukkuri no Uta (Song of Mukkuri)" Wada Tetsuzou / Japan [2017.6 up]
ムックリの音のなかを
白鳥が わたってゆく。
ムックリの音のなかを
女が むせんでいる。
ムックリの音のなかを
雨が ふっている。
ムックリの音は
アジサイ色にぬれている。
女たちの 永遠のかなしみに……
「日本の合唱名曲選集:15 湯山 昭 作品集IV 混声合唱とピアノのためのバラード コタンの歌」 ビクター音楽産業株式会社 198312.1

80. 『満州民族誌』 秋葉 隆 / 満州国 1938
"Manshu Minzoku shi (Ethnography of Manchuria)" Akiba Takashi / State of Manchuria [2018.2 up]
オロチョン族の年が戀を語るに用うる口琴の音は囁くが如く訴ふるが如く可隣りなもので、容器は白樺で作られ、素朴な焼繪の模様さへ施されてゐる。
「満州民族誌」 滿日文化協會 1938

81. 『秘境 興安嶺をゆくI 』 NHK取材班 / 日本 1988
“Hikyou Kouanrei o Yuku (Going Unexplored Xingan Range)” NHK Television Crew / Japan [2018.3 up]
オロチョン族の、おもに女性は、鉄製の口琴を淋しいときやかなしいときに、自分をなぐさめるために奏でたという。口琴の調べは、オロチョン族だけが好んだのではなく、現在でも中国南部の雲南の少数民族、台湾山地民あるいは、黒竜江下流のニブヒや北海道のアイヌなどにひろくみられるものである。
「秘境興安嶺をゆくI」 日本放送出版協会 1988

82. 『寒極のうた』 勝野 駿/ 日本 1975
“Kankyoku no Uta (Song of the Pole of Cold)” Katsuno Hayao / Japan [2019.5 up]
 続いて、音叉(おんさ)を薄くしたような形のヤクート民族楽器ホムスの独奏。指ではじいた金属片の振動をくちびるで加減して、メロディーを出す。アイヌが竹で作る楽器ムックリ(口琴)に似ている。眼鏡をかけた婦人が舞台に立って、およそ十分も熱演。農場員たちはうっとりと聴きほれている。北方民族が革命前まで信仰していたシャーマン教の呪文(じゅもん)で眠りに誘い込むような、そして性をかきたてるような、変わった楽器だ。
 ムックリは元来、シャーマンの巫女(みこ)を神がかりにさせる祭具だったというが、ホムスも昔はそうだったのだろう。だが今はヤクート民族の文化遺産として、また現代人にも通じる魅力的な音楽として、老人だけでなく、若い世代にも愛されている。
中日新聞本社 1975.2.1

83. 『シベリア大紀行』 TBS特別取材班/ 日本 1987
“Shiberia Daikikou” TBS Special coverage group / Japan [2019.6 up]
 一二月一五日、この日は芸術デー、市の芸術会館で開かれた「民族の踊りと歌の祭典」を、朝の九時半から夜までえんえんと撮りつづける。そのあとコンサートホールで催された民族楽器ハスカ(口琴)の演奏会を撮る。実に興味深く、すばらしいものだったが、テープの使用量が厖大なものになり、今後のことを考えると不安になる。数々の歌や踊りをいちいち撮るのはテープの無駄だとは思うものの、あとで出演者たちが必ず見せてくれと言ってくるにちがいないので、全部撮っておかないとまずいことになる。サワリだけを撮ればいいのだが、ぶっつけ本番なので、どのあたりがクライマックスなのかわからない。結局際限もなく撮りつづけた。全体の構成上、本番の放送ではほとんど使わなかったが、さまざまな北方民族の芸能を収録したテープは、貴重な資料となるだろう。
河出書房新社 1987.11.25
 註) 1984年12月に、ヤクーツク市のコンサートホールで、口琴ホムスの演奏会が、TBSの取材班によって撮影されていた記録。リポーターとして椎名誠、通訳として米原万里も参加。それにしては、サハ語やロシア語のカタカナ表記があまり正確ではない。だいたいkhomusがなぜ「ハスカ」になるのだろうか。他にも、夏至祭りyhyakhがウアセフなど、もともとカタカナ表記は不可能だとは言え、あまりにもいい加減。もう少し発音に近い表記をできなかったのだろうか。
前回紹介した1974年の取材に基づく中日新聞の勝野駿が、正しく(サハ語の発音に最も近いカタカナ表記として)「ホムス」をとっているのとは格段の差。細かい点までの確認が行き届いていないようである(テレビとはそんなものだとは言え…)。(直川礼緒)

84. 『冒険手帳 ―火のおこし方から、イカダの組み方まで』 谷口 尚規/ 日本 1972
“Bouken Techou (Adventure Notebook)” Taniguchi Naoki / Japan [2019.7 up]
 ひとり遊びはまず音からはじめよう。
 孤独な民族アイヌは、「ムックリ」という竹の楽器をかき鳴らす。左手につかんだ糸でおさえ、弁(べん)についた糸を右手でひくと、弁が震動(しんどう)してかすかにブーンとうなる。なぜ口をあけて唇の間でやるかというと、ブーンがかすかなので、口の中で共鳴させて大きくするためだ。口や舌の形を変えれば、音の高さも違ってくる。うまい人が鳴らすと、ちょうど弦楽器(げんがっき)の琵琶(びわ)の音色(ねいろ)に似た音がする。アイヌの若い人は、このムックリを愛の告白のとき、利用するそうだ。きみも、大好きなかわいこちゃんに愛を打ち明ける準備に、たっぷり練習しておこう。
 これと似た楽器はニューギニアの土人も持っている。名まえを「ビギギ」という。原理はほとんど同じだ。
21世紀ブックス 1972.1.1

85. 『伊福部 昭 音楽家の誕生』木部 与巴仁/ 日本 1997
“Ifukube Akira Ongakuka no Tanjou (Ifukube Akira The Birth of a Musician)” Kibe Yohani / Japan [2019.8 up]
 手元に、ムックリの現物がある。竹で作られているものだから、高価ではない。初めて買って帰った夜、勇んで音を出してみようとした。
 頭の中に、以前CDで聴いたムックリの音色があった。びぃーん、びぃーんという音が、時に短く時に長く、ゆっくりと、そして忙しげに繰り返されていた。なるほど、空気を震わせればいいのだ、と思った。
 竹の細い板を口にあて、糸をひっぱってみる。繰り返し糸を引きながら、息を吸ったり吐いたりする。ところが、ムックリはうんともすんともいわない。びぃーん、びぃーんどころではない、糸のぶんぶんという音が耳元でするだけ。音がしないものだから力んでしまい、唇に力を入れた拍子に、ささらになった竹の繊維が唇に刺さった。血の味がする。ムックリは、唇に添えるだけなのか? 噛むくらい力をこめるのか? 息を吸ったり吐いたりする加減は、どの程度なのか?
 何度目かの休憩の時、ふと、手元で弁だけをはじいてみた。弁が細かく振動しているのが見えた。折れそうなくらいしなわせて指を離す。見えなくなるほどの、ものすごい震え方だ。同時に覚えのある音がした。びぃーん。思いついて、糸を引く手に角度をつけ、何度か引いた。弁が震えている。かすかに、びぃーん、びぃーんと鳴っている。これを、唇にあてた状態で行えばいいのではないか。
 ムックリを持つ左手を、しっかりと頬に固定した。死んでも動かさないという気になって、右手で糸を引いた。最初はまったく変わらなかった。糸のぶんぶんという音が聞こえるのみ。ところがひょっとした拍子に、かすかにではあるが、びぃーんと振動するではないか。もう一度。糸を引く手に角度をつけ、慎重に、しかし思い切って引っ張った。びぃーん。なるほど、この要領か。
 ぶんぶん、びぃーん、ぶんぶん、ぶんぶん、ぶんぶん、びぃーん、ぶんぶん、ぶんぶん、びぃーん、ぶんぶん、びぃーん、ぶんぶん、びぃーん、びぃーん、びぃーん……。
 息はしていない。視線を宙にただよわせ、ただ夢中になって糸を引いた。口の中に弁の振動を反響させていく。時々下の形を変えてみた。そのたび、びぃーんがぶぃーん、びぃん、ぶーん、ぼゅーんなどと変化する。さらに息を吐くと音色はまた変わる。
 次第次第に全身が熱くなってきた……。
新潮社 1997.4.25

86. 『大草原をゆく ソビエト(1)』 井上 靖、樋口 隆康、NHK取材班/ 日本 1983
“Daisougen o Yuku Sobieto(1) (Going through the Great Steppe  USSR(1))” Inoue Yasushi、Higuchi Takahiro, Hirao Koichi / Japan [2019.9 up]
 車の行く手に人だかりが見える。十数頭の馬に導かれて車をユルユル動かして人だかりのしているところまで行く。全員ジープから下車を求められる。おそるおそる車から降りると、十三歳ぐらいの娘がパンと塩をのせた盆をさし出して、それを受け取れと言う。盆を受け取るのが合図のように、あざやかな民族衣装を着た女たちが楽器を持って演奏し始める。
 後でわかったことだが、それは、草原に生きる人たちの最大級の出迎えの儀式だったのだ、みみずくの羽で飾った白い帽子をかぶりピンクの衣装をまとった娘さんたちが、私たちを取り囲んで踊り始める。
「海の向こうからヤポーニヤがやってきた」
 鼓に似たダウィルパズ、タンバリンに似たシウィダウウィル、馬のひずめの音を出すトウヤク・タス、ギターやマンドリンに似た弦楽器ドンブラ、「ブルン、ブルン」とアイヌの人たちが吹くムックリに似た音色をもつシャムコブイスなど、すべての楽器が古くから中央アジアの草原に伝わってきたものである。男や女がユルタから出てきて、踊っている娘たちのまわりを囲んでいっしょに手拍子を打っている。
日本放送出版協会 1983.12.20

87. 『揺らぐ口琴』 井上 義浩 / 日本 1969
“Yuragu Koukin (Swaying Jew's Harp)” Inoue Yoshihiro / Japan [2019.10 up]
口琴の月下にゆらぐ草の枯れ
 註・口琴は口にて鳴らす小さな琴のこと。

 東海岸の断崖の襞の間を縫って玲瓏の渓が太平洋へ注いでいる。
 この渓流を徒歩で遡ること一日余り、中央山脈の懐に、平和な色をつくって住んでいる種族に、タロコ族と呼ばれる人々があった。
 山紫水明のこのこの仙境では、月の夜ともなれば、いずくともなく妙なる口琴の音色が流れて来る。
 山峡の徒然の詩情を小さな口琴に托して送る可憐な仕種がこよなく旅情をかきたてる。
 同じ口琴の音色であっても初冬ごろのそれにはまた格別な風情がある。
 乏しい山の生活ではあるが、秋の収穫も一通りすんで、来るべき冬への用意は整った。
 山での生活には、いつもつきまとう一抹の不安がある。誰に語るべくもない宿命的な原始生活から来る不安なのであろうか。あたり一面の鬼萱は悉く枯れ、風が颯々と桧の大樹をゆさぶって吹き通ってゆく。しかし今宵はいつもの風さへ一つない静かなタロコの山峡ではある。
 天心の月は飽くまでも皎々と澄んでいるし、人々の生命のの綱である谿水は、玲瓏と凍りいよいよその冷たさを湛えるのみである。
 月下の草枯れの山峡を洩れて、心を洗いきよめるような口琴の音色は、いつまでもいつまでも続いている。
 タロコ族はいまもあるであろう。そこに住んでいいた人々は、どんなに変わっていったことだろうか。
 日は移り月は流れ去っていく、天心に皎々と照り澄んでいたあの月は、月下に揺らぎ流れていたあの口琴の音色は、今もなお生々と私の心に鼓動を続けている。
 昭和の始めごろの出来ごとが、折りに触れまるで昨日のことのように思い出されることである。
「林苑」 9月号林苑発行所 1969.9.10

88. 『東トルキスタン風物誌』 A・フォン・ル・コック / ドイツ 1928
“Von Land und Leuten in Ost-Turkistan : Berichte und Abenteuer der Vierten. Deutschen Turfan-expedition” Albert von Le Coq / Germany [2019.11 up]
 これらの小さな笛は玩具にすぎないが、もっと年長の青少年、娘たちや若者たちによって、この地方全体で大いに利用されているビヤボン(クオブス)は、もう楽器に数えてもよいであろう。ビヤボンには二つの形がある。すなわち、ひとつは振動する舌のついた馬蹄形の鉄製で、もう一つは竹を、時には木を削って造られた単純なものである。竹はこの地方には生えないので、後者は中国の形式とみなしてよいであろう。
「東トルキスタン風物誌」 A・フォン・ル・コック 羽鳥 重雄 訳 白水社 1986

89. 『アイヌ民族』 本多 勝一 / 日本 1993
“Ainu Minzoku (Harukor: An Ainu Woman's Tale)”Honda Katsuichi / Japan [2020.1 up]
 冬の夜長を徹夜ですごすこの大祭のあいだ、午前中は眠っている人が多くてコタンも静かだが、午後になると活気が出てきて、戸外では雪のちらつくときでも「乳房づかみ」のような若者のあそびや武芸などでにぎやかだ。でも私は、コタンの娘としての炊事などの義務以外は、イヨマンテが終わってウナヤンケが帰るときまでに間にあわせようと刺繍に夢中だった。同時に、ウナヤンケが贈ってくれたムックリ(口琴)にもこたえて、ウナヤンケの耳にはいりそうなところで演奏した。なにしろウマカシテの積極性に対抗するには、はにかんでばかりいられない。ムックリのうでなら私の方が断じて負けない自信がある。演奏にたくして私の歌ったイヨハイオチシ(哀慕の即興歌)の、言葉の意味まではともかく、気持ちが通じただろうか。
「アイヌ民族」 本多 勝一 朝日新聞社 1993

90. 『リボク日記』 リボク / 台湾 1995
“Riboku Nikki (Lifok's Diary)”Lifok / Taiwan [2020.2 up]
 (一九五一年)三月二十八日 星期三 天気
 今日は胡弓の工作をなまけた。お晝は、お母さんか鶏の卵三個を煮いたのて肚子飽了。後はタナムの子、正男さんの高山式口風琴(ラトク)一個を作った。
「リボク日記」 リボク 日本順益台湾原住民研究会 1995

91. 『貞操帯と口琵琶』 八剣 浩太郎 / 日本 1961
“Teisoutai to Kuchibiwa (Chastity Belt and Jew's Harp)” Yatsurugi Kotaro / Japan [2020.3 up]
 半分ほど残つているウィスキーの角瓶をだして、夏子にものませた。ぽおつと頬を染めた夏子はオーバーのポケットから長さ五寸位の竹筒をとりだした。手ずれのした古い節竹で、それにはやや太い糸が通つており、一方の端が竹にとめてある。
 「ほう、口琵琶(ムツクル)じやないの、それは」
 研次は目をみはつた。
 「母さんの遺品(かたみ)なんです・・・・」
 「話には知つてたが、実物をみるのははじめてだ。君、ひくの?」
 「ええ、小さい時分から・・・・」 
 「それは、すばらしい。ここで口琵琶(ムツクル)がきけるとは夢にも思わなかつたな。第一、いまの人はやらないというじやないの」
 「いいえ、そうでもないわ。百人に一人くらいはひいてるわ」
 「やつぱり、珍らしいんだ」
 夏子は研次の横にきちんとなおすと、糸の端を白い前歯にはさみ、左手に竹を握つて強弱を加減しながら、右手の人差ゆびで糸を弾き、歯の奥で低く唄いはじめた。
「讀切倶楽部」 1961 7月号 三世社 1961.7.1

92. 『オホーツクの灯り 樺太、先祖からの村に生まれて』 安部 洋子 / 日本 2015
“Ohotsuku no Akari (Light of Okhotsk)” Abe Yoko / Japan [2020.4 up]
 おばあちゃんは大玉のネックレス。あんまりきれいなのでそっと首に」掛けてみた。あまりの重さ。小さな私には無理。首が前に曲がっていき、背中が丸くなってとっととっとと前に走り出した。やっとの思いで止まったが咳はこんこん出るし、叱られるしではぁー、目が回った。
 トンコリ(弦楽器)に触ってみたが音が出ない。ムックリ(口琴)もスースーとするだけ。ばあちゃんのヘアバンドはビーズがきれいに並んでくっついている。ほしくて「洋子にも作って」とせがみ「後で作ってやるから」で終わった。
「オホーツクの灯り 樺太、先祖からの村に生まれて」 安部洋子 橋田欣典 2015.2.20

93. 『たたかう音楽』 高橋 悠治 / 日本 1978
“Tatakau Ongaku (Fighting Music)” Takahashi Yuji / Japan [2020.5 up]
 かんがえるために、すでに頭の中にあって心をなやます、めまぐるしい言葉の流れを追いはらう。自分の呼吸に注意をむけ、その周囲を少しずつゆるめる。自分が〈一個の呼吸器〉(デュシャン)になるまでこれをつづける。
 あるいは、指関節をかむ、タバコをふかす、口琴をならすなど、口もとにかたい物質が接触することに注意をはらう。
 あるいは、ギリシャの男がやるようにジュズ玉を繰るとか、アフリカの少年のように親指ピアノをひき、手のくりかえし運動をたのしむ。
「たたかう音楽」 高橋悠治 晶文社 1978

94. 『こ・う・き・ん』 内田 満開 / 日本 2006
“Ko-U-Ki-N” Uchida Mankai / Japan [2020.6 up]
こぬ長き思い
歌う口琴や
今日ぬ吉日に
生まり給れい
(こぬながきうむい
 うたうこうきんや
 きよぬよかるひに
 んまりたぼれぃ)
「こ・う・き・ん」 内田満開 2006

95. 『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』 梯 久美子/ 日本 2020
“Saghalien” Kakehashi Kumiko / Japan [2020.7 up]
 カップラーメンを食べ終わったあと、彼がウエストパッグから、勾玉(まがたま)のような形をした琥珀(こはく)色のものを取り出して見せてくれた。手のひらに載る大きさで、有機物特有のつやがある。動物の牙(きば)を磨いたもののようにも見えたが、聞けば熊の爪なのだという。彼の母親はロシア人、父親は少数民族のニブフ(ギリヤーク)で、これはニブフのお守りだということだった。
 お守りはストラップのようになっていて、木でできた楕円(だえん)形のものに結びつけられていた。長径は一〇センチくらいで、表面に彫刻がほどこされている。彼によればニブフの老人の顔をあらわしているそうだが、単なる工芸品には見えない。
 いったい何なのだろうと恩って見ていたら、彼はそれを口もとに持っていった。中に隠れていたひものようなものを引っばり出しながら息を吹き入れると、ビィンビィンと金属的な音がした。
 それを聴いてようやくわかった。これは楽器なのだ。よく似たものをアイヌの人が奏でるのを聴いたことがある。口琴の一種で、ムックリといった。
 ビィンビィンビィン……すでに陽は落ち、漆黒の闇(やみ)となった雪原を走る列車のコンパートメントに、哀愁を帯びた音色がひびく。しばらく演奏を続けたあと、彼は口琴を口から離してにっこり笑い、ニブフはこれを「ヴァルガ」と呼ふのだと教えてくれた。
「サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する」 梯 久美子KADOKAWA 2020

96. 『櫛と口琴』 猪爪 範子/ 日本 1975
“Kushi to Koukin (Comb and Jew's Harp)” Inozume Noriko / Japan [2020.8 up]
 アイヌにとって櫛は結納品としてとりかわされる品物の一つということですが、彼達は竹製の口琴、ムックリを伝えていますから、竹の櫛がなかったとは言えないでしょう。この口琴も竹の文化圏と思われる範囲に、たくさん分布しているようです。
 アイヌのムックリ。タイのチョンノン。ニューギニアのビギギ。台湾高砂族、ボルネオなどが、現在私の確認した範囲です。アフガニスタンでは口琴の金属製の物を見ました。中国にはもともと金属製の口琴があって、それがシルクロードにのって欧州に伝えられたのだそうですが、途中アフガニスタンにも、その一つが落とされ、独自に芽ばえたのでしょう。英名ではジューズハープと言い、かなりありふれた玩具であったようです。
 日本に滞在中の若いイギリス人に見せたところ、彼たちのいうジュースハープは柄がもっと短いということでしたが、アイヌのムックリや、タイのチョンノンを見て驚いていました。
「あしなか」 第145輯 山村民俗の会 1975.4

97. 『世界人種物語』 フレデリック・スタール/ 日本 1924
“Strange Peoples” Frederick Starr / USA [2020.9 up]
 フイジー人は音樂を愛し、種々の樂器を持つて居る。太鼓も二三種ある。竹製の口琴、法螺貝、鼻で吹く横笛などもある。
「世界人種物語」 フレデリック・スタール 津田敬武 訳・補 厚生閣書店 1924.6

98. 『北方言語・文化研究会成果報告(28)』 菊池徹夫/ 日本 1992
“Report of the Group for Research on Northern Languates and Cutures (28)” Kikuchi Tetsuo / Japan [2020.10 up]
 午後、サハリン州立図書館2階にある美術館分室において開催中のヤクート民族工芸展を鑑賞した。現代に息づく民族工芸の質の高さに感心したが、ヤクートに関して何の知識もなかったにもかかわらず、民族の伝統というものの豊かさを垣間見た気がした。それは、ヤクート自治共和国という政治的な領域をもった民族という先入観の故だろうか。
 夕食は参加者の会食となっていた。歌で交歓し合い、ヤクートの口琵琶とアイヌのムックリが合奏された。その夜のうちに、汽車で北方のノグリキへ向かった。
「早稲田大学語学教育研究所 紀要 45」 1992.9

99. 『秘境のキルギス』 藤木高嶺/ 日本 1982
“Hikyou no Kirgisu (Unexplored Kyrgyz)” Fujiki Takane / Japan [2020.11 up]
 やがてエイターンがオーグズ・コムズを口もとで鳴らしはじめた。口を一種の共鳴箱にして、ビンビンはじく小型の金属製楽器である。ニューギニア高地人はビギギ(モニ語)とよぶ竹べらの楽器を口もとで鳴らしていた。これはアイヌの竹の楽器ムックリに似ていた。これらはすべて体鳴楽器に類するものだが、オーグズ・コムズだけは金属製だからやや進歩したものだ。しかし原理も演奏方法も同じで、弁を振動させ、口の中を広げたり狭くしたりして強弱をつける。静かな低い音がビンビンとひびく。
 オーグズ・コムズの低いひびきに誘われるように、大きなおなかをかかえたハンテッキが、フラフラと立ち上がり、夢遊病者のように踊りだした。みんな大拍手だ。
「秘境のキルギス」藤木 高嶺 朝日新聞社 1982.5.30

100. 『天葬の国 高原の民 チベット・ネパール・内モンゴル』 藤木高嶺/ 日本 1986
“Tenso no Kuni, Kougen no Tami - Chibetto, Neparu, Uchi-Mongoru (The Land of Sky Burial, The People of the Plateau - Tibet, Nepal, Inner Mongolia)” Fujiki Takane / Japan [2020.12 up]
 やがてエイターンが、オーグズ・コムズを口もとで鳴らし始めた。口を一種の共鳴箱にして、ビンビンはじく小型の金属製楽器である。体鳴楽器に類するもので、弁を振動させ、口の中を広げたり狭くしたりして強弱をつける。静かな低い音がビンビンと響く。
 オーグズ・コムズの低い響きに誘われるように、大きなおなかをかかえたハンテッキが、フラフラと立ち上がり、夢遊病者のように踊りだした。みんな大拍手だ。
「天葬の国 高原の民」藤木 高嶺 立風書房 1986.12.10

101. 『比律賓の土俗』 三吉 朋十/ 日本 1942
“Hirippin no Dozoku (Folklore of the Philippines)” Miyoshi Tomokazu / Japan [2021.1 up]
 夜の靜けさを破つて折々美しい鼻笛の音が聞こえて來る。イピツプは笛の總稱であるが、ケレレンは鼻笛のことで、アバフイウとは笛全體の總稱である。外に臺灣でルブル、アイヌ人のムツクリというふものと同じセレンドンといふ口琴を彈づることもある。鼻笛は竹を長く切つて表面に細かく美しい傳説に因んだ彫刻を施し四つの孔がある。これを斜に鼻孔に當てゝ一孔を塞いで息氣を吹くと美音が出る。臺灣のブヌン族がするやうに一度に二本の笛を奏するのではない。意馬心猿に駆られるイゴロツトの年はこの笛を吹いてオロツグに眠る娘にやるせなき戀心を訴ふるのである。
 蠻人にも戀もあり、涙もある。しかもその戀は本能的に文明人よりも熱烈なるものである。笛を吹いて情熱の戀を求められたオロツグの中の娘達は、今宵ぞ誰か來るものと狭い入口のオロツグの扉を開けたまゝ深々と夜の更け行くのを待つてゐる。
「比律賓の土俗」 三吉 朋十 丸善 1942.8.20

102. 『阿寒湖で求めたアイヌの口琴』 安西 水丸/ 日本 2001
“Akanko de Motometa Ainu no Koukin (Ainu Jew's Harp I Purchased at Lake Akan)” Anzai Mizumaru / Japan [2021.2 up]
 歩いていると、妙に心をゆさぶる音が流れてきて立ち止まった。
 ビンビン、バンバン、ビンビン、バンバン。
 音はそんなリズムで聞こえてくる。
 ああ、とおもったが、咄嗟のことで楽器の名前が思い出せない。アイヌの有名な民族楽器だということまではうかんでいるのに、名前はなかなか出てこない。音に向かって歩きはじめた。
 ぼくはそれが土産店の立ち並ぶ、ずっとはずれにある小さな土産店から流れてきたことをつきとめ、なかに入った。
 アイヌ衣裳を着た若い女性の店員に楽器のことを尋ねた。
「ムックリです」
 彼女に言われ、ああ、そうだったとおもった。
「NOVARK」 2001年9月号 株式会社NOVA 2001.9.1

103. 『ホムスの伝説』 リュボーフィ オーレソヴァ-タプタラーナ/ ロシア連邦サハ共和国 2017
“Khomus no Densetsu (Legend about Khomus)” Lyubov Olesova-Taptalaana / Sakha Republic, Russia [2021.3 up]
競争の最後の参加者は小さな角質の器具、ホムスであった。彼は鉄から鍛造された。リングの幹、背の高い細い首。幹の中央と首に沿って、首の端で曲がって小さなリングレットで終わった長い紐があった。彼は非常に控えめに見えた。すべての楽器はそれらの間で中断された。「彼は何を驚かせることができますか?」とトランペットはドラムに尋ねた。
「それはとても小さい」とドラムは驚いて答えた。「一つの鉄弦で何かを演奏することは可能ですか?」とヴァイオリンとギターはささやいた。しかしホムスが演奏を始めたとき、彼は大声でやわらかく演奏し、すべての楽器が驚いて凍った。ホムスは異なった音を作った。これらは自然の音でした。彼の音楽であなたは小鳥のさえずり、小川のリンギング、実行している馬の風雑音ひづめを聞くことができる。「実にあなたは星に私たちの惑星を提示する価値がある!あなたの帰りを待っています!」と皇女が述べた。 
「Сказание о Хомусе」 Любовь Олесова-Тапталаана П. Н. Шишигин 訳 Музей и центр хомуса народов мира 2017

104. 『蝦夷迺天布利(えぞのてぶり)』より 菅江 真澄 / 日本 1791
“Ezo no Teburi” Sugae Masumi / Japan [2021.4 up]
蝦夷見てもくもりも波の月きよく吹く口びはの声の涼しさ
「菅江真澄全集 第二巻」 内田 武志 宮本 常一 編 未来社 1971.11.30

105. 『近世商賈尽狂歌合』 石塚 豊芥子 / 日本 1852?
“Kinsei Akinaizukushi Kyouka Awase” Ishizuka Houkaishi / Japan [2021.5 up]
此の形ち、鉄或赤銅にて作る。天保年中殊之外流行しけるが、如何の訳にや。売止め相成、暫くすたりし所、当時またまたはやり、専ら鬻ぐ事也。[割駐]一挺に付百文、百五十文、二百文。」
「日本随筆大成 第三期 第四巻」 日本随筆大成編輯部 編 吉川弘文館 1977.1.10

106.日本金属玩具史 日本金属玩具史編纂委員会 編 / 日本 1960
“Nihon Kinzoku Gangu Shi (Japanese Metal Toy History)” Nihon Kinzoku Gangu Shi Hensan Iinkai ed. / Japan [2021.6 up]
 さて文政八(一八二五)年には、この項の初めに書いたビヤボンの禁止によって出現した松風ゴマとひばりゴマがある。松風ゴマは初めに竹で作り、のちに鯨のヒレに変わったが、ひばりはもともと真鍮だったから金属玩具である。両者いずれも同じ原理ながら、ひばりゴマを例にとると、薄い真鍮板を小さく四角に切り、二つの穴をうがって糸を遠し、両手で引くのである。ビヤボンが音を発したのと、その点で同工であり、上から押さえられ、禁止されてもすぐそれに代わるべきものを出すところに、子どもの玩具への激しい欲求がうかがわれる。
「日本金属玩具史」 日本金属玩具史編纂委員会 編 日本金属玩具史編纂委員会 1960

107.トゥワー民族 鴨川 和子 / 日本 1990
“Tuwaa Minzoku” Kamogawa Kazuko / Japan [2021.7 up]
 革命後、民衆口碑文芸発展に新しい段階が始まる。革命後のフォークロアは、民族的口碑文芸の伝統を継承しながら社会・経済生活の変化を反映している。歌は新生活を讃え、レーニンを敬っている。新しいチャストゥシカには共同体と社会改革に関する出来事を反映したものがある。大祖国戦中に歌われた歌には、若い志願兵が戦場へ向かう姿、戦う有様などがある。戦後は、技術を習得した若者と娘を讃えているものなどがある。

  すばらしきかな、コンバイン
  ホムス(骨または金属からできている舌で鳴らす民族楽器)のように歌う。

  自由にコンバインを運転するとき、
  おまえは美しい、亜麻色の髪のおまえは。
「トゥワー民族」 鴨川 和子 晩聲社 ルポルタージュ叢書 37 1990

108.極限の民族  本多 勝一 / 日本 1967
“Kyokugen no Minzoku” Honda Katsuichi / Japan [2021.8 up]
 ウギンバ部落で、常識的に「遊び」と考えられるものには何があるだろうか。歌のすばらしさについては、さきに紹介した。楽器はどうか。アフリカだのニューギニアだのというと、なんとなく連想する第一の楽器はタイコだが、ここには全然ない。あらゆる打楽器がなく、あらゆる管楽器がなく、あらゆる弦楽器がなく、ただひとつ、最近の分類法で言えば体鳴楽器に類するものがある。ビギギ(モニ語)という竹べらだ。一〇センチ前後の薄い竹ベラかアシベラを割って中央に弁を一本作り、一端にヒモを結べば出来あがり。
 ヒモと反対側の端を片手でつまみ、ヒモをぴんぴん引張ると、弁が振動してかすかにブーンという音がする。これだけでは耳のそばでやらないと小さすぎてきこえないから、口をあけて唇の間でやると、口の中が一種の共鳴箱になって音が少し拡大する。口と舌の形を変えると、それに従って音程も変わる。だから、これでも演奏者によってかなり上手へたがある。
 ウギンバ部落のすぐ東隣り、サンゲンバ部落は、ウギンバゲラコエというモニ族の男一世帯だけの"部落"だ。彼の家は、おそらくウギンバ村最低のほったて小屋である。妻も一人だけ、男の子がいないから、二畳敷くらいの「男の部屋」は彼ひとりだ。ひとりでほったて小屋にくらしていると、彼はビギギを鳴らすくらいしかすることがない。おそらくは、それに才能も加わって、彼はビギギの"名演奏家"になった。彼の家へ遊びに行くと、よく聞かせてくれる。豊かなメロディーを表現するほどの変化はないが、ときどきたき火の音に消え入るほどのかすかな音で奏でる旋律は、さびしく、悲しげな情緒を多分にかきたてる。芸術家は、ウギンバでもまた貧乏か。
「極限の民族」 本多 勝一 朝日新聞社  1967

109.支那行商人とその樂器 中島 幸三郎 / 日本 1941
“Shina Gyoushounin to sono Gakki” Nakajima Kouzaburou / Japan [2021.9 up]
 口を以て奏する琴――即ち支那古代の簧である。詩経に
 「君子陽陽左執簧」の一句がある。さらに「巧言如簧」の簧である。ことほど左様に巧(たくみ)なる音を包藏する樂器の一つである。その時代々々を代表する流行歌などはもちろん、古歌なども、この口琴屋によつて廣く民衆の中に傳播された。
「支那行商人とその樂器」 中島 幸三郎 冨山房  1941

110. 『鰲花姑娘』 呉連貴(赫哲人)口述・黄任遠 採集整理郎 / 中国 1982
“Aohua Guniang (Chinese Perch Girl)" narrated by Wu Liangui (Hezhe), collected and arranged by Huang Renyuan / China [2021.10 up]
──昔、亡き両親の借財を背負った漁師の若者が河辺に住んでいたが、金持ちの老人が借金のかたに漁の収穫を全部取り上げるので、貧しさに苦しんでいた。若者が口琴を奏でて悲しみをはらしていると、その調べを聞きつけた鰲花魚が同情し、美しい娘に姿を変じて若者の夢の中に現れ、魚族の主である巨大なチョウザメの持つ宝珠があれば人間に変身できると告げる。首尾よくチョウザメを捕えた若者は、水中に放してやる代わりに宝珠を手に入れ、鰲花姑娘と結ばれる。これを嫉んだ老人は二度にわたり無理難題をふっかけるが、鰲花姑娘は宝珠の霊力で苦境を切り抜け、二人は幸福に暮らした。
「ニマチャNimaca雑考」増井 寛也 『立命館文學』 立命館大学人文学会編  2008.12

111.ホムース』 ― / ロシア 2015
“Khomus" ― / Russia [2021.11 up]
 サハ民俗の伝統的な楽器である。サハ文化のシンボルの一つである。ホムースの音がヤクーチアの自然の美しさ、湖の青さ、空の深さを賛美し、だれにも魅力をかける。ホムースの音がサハ音楽の豊富と独自性を反映する。ヤクーツク市では随一のホムース世界博物館が開設されている。
 2012年にはヤクーツク市でもう一つのギネスワールドレコーズが記録された。世界で初めて1344人のアンサンブルが同時に7分の曲をホムースで弾いたのである
「ホムース」ー 『サハ共和国(ヤクーチア)―魅力がある土地』 Struchkov Alexander編 The Press Service of the Permanent Mission of the Repulic of Sakha (Yakutia) under the President of Russian Federation 2015.12.24

112. 『口琴』 U. ミヒェルス 編 / ドイツ 1977/1985
“Maultrommel" Ulrich Michels ed. / Germany [2021.12 up]
 歯で金属の枠をくわえ、口を共鳴器として、薄い鋼鉄のリードを指で弾く。昔の徒歩傭兵や下賤の楽器。
「図解音楽事典」 U. ミヒェルス 編 角倉 一朗 日本語版監修 白水社 1989.11.10 

113.口琵琶 ―ムックリ―』  河野.広道 / 日本 1956
“Kuchibiwa -Mukkuri-" Kono Hiromichi / Japan [2022.1 up]
 アイヌの楽器の一種にムックリと呼ばれているものがある。これはかってはアジアからヨーロッパにかけて広く分布していた原始的な楽器で、ヨーロッパでは「ユダヤのハープ」の名で知られている。中国にも、台湾にも、日本にも同じものがあり、奥羽地方ではビヤボンと称していた。
 アイヌ自製のものは竹製でトプムックリと呼び、中国製又は和製の鉄製のものをカニムックリという。
 音は低いが哀調をおびた妙音を出し。様々の曲がある。たとえば、美幌には
   熊神の曲     小鳥の曲
   木だしの曲    雨漏りの曲
   波音の曲     車櫂の曲
などが伝承されている。帯広市稿によると十勝には
   熊と犬との争いの曲
   牝鹿と鶴との争いの曲
   川の流音に擬した曲
   馬の蹄の音に擬した曲
などがあったという。
「アイヌの生活」 河野 広道 楡書房 1956.8.20

114.樺太アイヌ民族誌 その生活と世界観』 大貫.恵美子 / USA 1974
“The Ainu of the Northwest Coast of Southern Sakhalin" Ohnuki-Tierney Emiko / USA [2022.2 up]
 アイヌは歌うこと、楽器を演奏すること、踊ることが大好きである。彼らの音楽は静かな美しさを持ち、彼らの踊りはリズミカルな力強さというよりも優雅な動きが特徴である。実際、アイヌは、隣人であるウイルタのより激しく身体を動かす踊りを、品格と優雅さが欠けていると批判することがよくある。アイヌが他の楽器と同じように考えていないシャーマンの太鼓は別として、アイヌの見方で最も重要なのは、前述のトンコリ(五弦琴)で、これは神とされている。他にはフルートのようなペクトゥpehktu(ヨブスマソウのの茎笛)とムクンmuhkun(口琴)という楽器がある。ムクンは、小さな棒、竹板、そして糸でできている。短く一定の間隔で糸を引きながら、竹板に息を通すと、複雑な音楽が生み出される。ムクンが奏でる旋律は、言葉なしに自らのことを物語る。ある旋律は、母親が雪の中で時々泣いたり転んだりしながら、迷子になった子供を探していることを物語っている。別の旋律は、駆け落ちした恋人たちのことを物語る。彼らは待ち合わせの約束をしていたが、男性が到着したとき、女性はそこにいなかった。おそらく間違って別の場所に行ったのだろう。このようにムクンの旋律は、「この歌が聞こえたら私の所に来てください」という男性の声を表している。この場合のように、楽器は若い恋人同士のコミュニケーションの手段として機能することも多い。二人は、特定の旋律を合図として決めていて、一方がその旋律を奏でることで恋人を呼ぶ。恋愛歌、子守唄、舟曳歌など数種類の歌もあり、それらの中には何世代にも渡って受け継がれている有名なものもある。
「樺太アイヌ民族誌 その生活と世界観」 大貫.恵美子 阪口 諒 訳 青土社 2021.1.10

115.口弦をつくる老人』 吉狄 馬加 / 中国 2013
“Kougen wo Tsukuru Roujin (An Old Jew's Harp Maker)" Jidi Majia / China [2022.3 up]
  誰かの口弦が太陽の下で輝いている、まるでトンボの羽のように。     ――題記


山にぐるり囲まれた谷間で
老人の金槌の音が寂として静かな霧を突き破る
そのリズムは星のような露の珠を捲き散らせ
処女林は風の中のステップを止める
それは男らしい振動が
高原の湖の豊満な腹部で
始められた月光の下の
愛と美の同盟だ


老人の皺だらけの手
それは高原の十二月の河の流れ
黄褐色の.音韻の流れ
落ち着かぬ気持ちの流れ
ゆっくりと
黄金色の古銅を裁断していく


老人の手のなかで自由に泳ぐ一匹のサカナ
その両翼の鰭は黄金色の波浪
老人は高く高く岩を掲げて
金色の鱗を打ち据える
こうして老人の童話の世界から
多くの魅力あるトンボが飛び出す


トンボの黄金の羽は鳴り響く
太陽輝く大空に
大地の山々に
男の顔に
女の顔に
子どもの耳元に
トンボの黄金の羽は鳴り響く
東へ
西へ
黄色人の耳元へ
黒人の耳元へ
白色人の耳元へ
長江と黄河の上流へ
ミシシッピ河の下流へ
これが彝族の昔からの音
彝族の魂からでる音だ

「アイデンティティ」 吉狄 馬加 渡辺 新一 訳 思潮社 2018.10.31

116.20センチの楽器 世界にひびけ』 郷右近 富貴子 / 日本 2021
“20 senchi no Gakki Sekai ni Hibike(20cm Instrument, Resonate to the World)" Goukon Fukiko / Japan [2022.4 up]
――富貴子さんといえば、アイヌ民族に伝わる20センチほどの口琴、ムックリの演奏者として知る方も多いと思います。

 阿寒で母や周囲の女性たちの演奏を見て覚えました。特に弟子シギ子さんのえいきょうを受けています。

――海外でも演奏されますね。

 シギ子さんや多くの先輩が、ムックリを通じてシベリアのサハ共和国と交流してきたんです。2011年には私もサハで開かれた世界口琴大会に参加しました。サハのみなさんと先輩たちの友情に感動しました。その後も姉と二人でスペインやキルギスタンに行き、アイヌの歌とムックリをしょうかいしてきました。
「ミンタラ1 アイヌ民族 27の昔話」 北原モコットゥナシ 編著 北海道新聞社 2021.9.18

117.月明かりの逢瀬』 和 金花 / 中国 2022
“Hei meil zeeq bbvq nee gua guaq (Meeting by Moonlight)" He Jinhua / China [2022.5 up]
月明かりがとても明るい
私たちはその下にいる
ここで胸の内を明かしあいましょう
溝にいる小さなカエルも、口琴の音を聴きに来ている
枝にそよぐ葉や花たちも
口琴の音を聴いている
「ナシ族のうた」 和 金花 大熊 浩子 訳? ライス・レコード 2022.3.22

118.少年少女のための シャクシャイン物語』 飯島 俊一 / 日本 1976
“Shakshain - a Story for Boys and Girls" Iijima Shunichi / Japan [2023.2 up]
 シブチャリ(いまの静内)の川面をつたわって、少年ニスレックルのかなでるムックリの音がながれていた。ムックリは、くちびわというアイヌの楽器である。
 そのとき、かんだかい馬のいななきが、ムックリの音をかきけしたかとおもうと、西へかけさる砂金ほりのかしら、文四郎のすがたがみえた。
 「なにか、おこったぞ!」
 ニスレックルは、きゅうな坂をかけのぼって、砦(チャシ)の入口までくると、父のシャクシャインと戦士の一段にあった。
 これは、西のハエという、いまの新冠に砦をもつオニビシをうちとったかえりだった。
「画集通信」 飯島 俊一 ひまわり美術会 1976.8

119.母と子でみる 西南シルクロード少数民族の旅』 川西 正幸 / 日本 2004
“Minorities on the Southwestern Silk Road" Kawanishi Masayuki / Japan [2023.3 up]
 歩き疲れて道端で休憩(きゅうけい)をしていると、さまざまな物売りが声をかけてくる。ひとりの少年がトンボの羽根のような形をした口琴を売りにくる。口琴は彝族の女性が、神物としていつも民族衣装の中に入れ、持ち歩くと聞いている。長さ五センチほどの口琴は四枚一組で、銅製というが真鍮(しんちゅう)製のようだ。口琴は羽根を親指で一枚ずつ弾き、口の中で音を響かせ奏(かな)でる楽少年の手に握りしめた口琴は金色に光り、ひとつを口にあて低い音色で、びぃーん、びぃーんと音を出し、少年は言葉を音色に変え、いくらで買うのかと詰め寄っている。持っている八種類の口琴をすべて弾いてもらい、気に入った音色の三個を購入する。日本にもムックリという、アイヌの口琴があるが、原始的な楽器は国々によって形が違い、ヨーロッパや中近東で見かけたものより、彝族の口琴はシンプルな形で音色も繊細(せんさい)に思える。
「母と子でみる 西南シルクロード少数民族の旅」 川西 正幸 草の根出版会 2004.5

120.どっち?どっち?アイヌはどっち?』 なににぬこ / 日本 2019
“Docchi? Dotchi? Ainu ha Docchi? (Which one is Ainu)" NainniNuko / Japan [2023.4 up]
 どっち?どっち?
アイヌはどっち? 
ムックリ アイヌのがっきくちでおとをひびかせて、しぜんのおともひょうげんします。
「どっち?どっち?アイヌはどっち?」 なににぬこ 公益財団法人アイヌ民族文化財団 2019.3

121.父からの伝言』  鈴木 紀美代 / 日本 2007
“Chichi kara no Dengon (Message from my Father)" Suzuki Kimiyo / Japan [2023.5 up]
 アイヌの伝統楽器ムックリを初めて目にしたのは私がまだ幼い頃でした。

 祖父母がホウキの柄を細かく割り、マキリ(小刀)で削ったり糸を結んだりしているのを、何を作っているのだろう、と見入っていましたが、出来上がったものが一本のムックリでした。

 祖母はさっそくそれを口に当てて糸を引っ張ると、ビューン、ビューンと風のような音が響きます。祖父は「踊れ、踊れ」と言いながら細い棒で炉ぶちを打ち拍子を取るので、私と妹たちが立ち上がると、祖父母は「こうやって踊るんだよ」と、手取り足取り教えてくれたものです。

 私たちは手を叩き、足を踏み、炉端を何度も何度も踊りながら回りました。なにか不思議な気持ちでしたけれど、楽しかったことを、はっきり覚えています
「父からの伝言」 鈴木 紀美代 2007.12.28

122.ソン・チュー・ソン・サオ』 師カム チョン / ベトナム 2006
“Xong Chu Xon Xao" Cam Trong / Vietnam [2023.7 up]
女子は十にして、むすめさん、
男子はだんだん若者らしく。
十三になったら、ハゼとりをして、
十四にもなったら、ヤニを歯に塗り、むすめの仲間入り。
わたしらも胸当てをつけはじめる。
髪を切り集めて、髷をつくり、
おしゃれして遊興台にいき、火をおこす。
男十三、笛をけずり、
十四になれば、口琴だってけずれる。
24も銅をけずってやっとできた口琴で、
22も竹をけずってやっとできた、ちっちゃな笛でたわむれる。
「黒タイ歌謡 〈ソン・チュー・ソン・サオ〉 ―村のくらしと恋―」 樫永 真佐夫 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 2013.3.25

123.たまつきの夢 |撮影稿|』 田口 敬太 / 日本 2019
“Dream of a Commet" Taguchi Keita / Japan [2023.9 up]
熊野邸・きし乃の部屋
   髪を綺麗に結んでもらったきし乃が竹の口琴を吹いている。
   襖を隔てた隣の部屋から違う口琴の音が返ってくる。
   口琴で以心伝心で会話するという遊びのようだ。
   襖をあけるきし乃。
   隣の部屋で口琴を』吹いている春代。
きし乃「今、なんて言ったかわかった」
春代l「え」
   二人、笑う。
「たまつきの夢」劇場用ブログラム 映日果人 2023.7.15

124.声帯から極楽』 巻上 公一 / 日本 1998
“Seitai kara Gokuraku (Heaven from Vocal Cords)" Makigami Koichi / Japan [2023.10 up]
…おそろしく退屈なニューエイジ風とでも言うようなものを、着くなり見せられた外国から来た曲者たちは、ホーメイ・センターの入口に出てくると、欲求不満を解消するかのようにパフォーマンスで自己紹介をはじめた。
 トラン・クァン・ハイ氏が、ドレミファソラシドを倍音を伴って歌った。そして、こんなのは朝飯前といわんばかりに、続いてドレミファソラシドの上昇を歌いながら、倍音はドシラソファミレドの下降をやってのけた。それを見ていたザグレディノフ・ロベルト氏は、そんなのは知っているといい放ち、口琴をビュンビュンいわせながら、カルグラという低音の倍音唱法をはじめた。口琴だったら俺だって凄いんだぞと、トラン・クァン・ハイ氏は、次々にいろんな口琴を演奏する。ヤクートの鉄製のものや、ミンダナオ島の竹製のものが、彼の持っている箱の中にいっぱい詰まっている。その中に2本のスプーンも入っていて、仕舞いには彼はそのスプーンを膝と手で打ち鳴らしはじめた。そればかりか、スプーンを口の前に持ってきて、歯に当てて、ビンビンといわせてしまった。とんでもない芸人技だ。
「声帯から極楽」 巻上 公一 筑摩書房 1998.3.10

125.ヘッドハンターズ フォモゥサ首狩り民のはざまにて』 J.B.M. マクガバン / アメリカ 1922
“Among the Headhunters of Formosa" Janett Blair Montgomery McGovern / USA [2023.11 up]
 軽薄にではなく真面目に、常に、先住民の「若者の好意が恋の想いに転ずるとき」、彼は、夕闇の迫る頃になるときまって自分の意中の乙女の家へと通い、求愛する。とはいえ西洋流に、若いレディまたはその両親に訴求するようなことはせず、彼は、必ずしも彼女の小屋の戸口に座り込むわけでもなく、はじめは彼女のほうでも戸口には立たず、そのうち、マレー人らしく彼は、西洋の我々が予想するように座るのではなく、ただうずくまるだけで、どこかユダヤ人の口琴(Jew's harp[ユダヤ人が製作して売り歩いたといわれる、金属製の枠を上下の歯でくわえて中央のうすい金属片を指先ではじいて鳴らす楽器])に似た、それと全くおなじように奏でる竹製の楽器を、奏ではじめる。西洋人の耳には、その音色は恋歌というよりは、むせび泣くような、もしくは哀愁の調べにはるかにちかい。しかしながら、フォモゥサではそれは、――先住民がかかわるかぎり――意中の女性のためにセレナードを奏でるときの極くふつうの手段であって、明らかにセレナードに熱意を託す男と乙女とによる交歓そのものなのである。こうして恋人たちは一晩に数時間も寝ずの逢瀬をたのしみ、次の夜に重ねては、幾晩もつづけてそれをくり返す。この間ずっと、男は乙女をくどくようなしぐさは少しも試みないどころか、その両親に取り入ろうともしない。最後に、こうした夜ごとのセレナードを数週間つづけたあと、或る夜、男は乙女の小屋の戸口にその竹製のユダヤ人の口琴をおいていく。翌晩、彼がきてみると、もし口琴がそのままそこに置かれたままであるなら、彼の求婚(suit)はそでにされたものとみなければならない。すなわち、フォモゥサにおいては、女の「ノー」は決定的に「ノー」を決めたものであって、かくて求婚者(swain)は意中の乙女に関するかぎり求婚期間を二度とくり返しはしない。少なくともこのことは、私の観察が及ぶかぎりの事態であって、明らかに、これと別のやり方で彼女に取り入ろうとすることはほとんどのフォモゥサ人社会では「してはならない」もののひとつとなっており、――彼らの間でくらしたことのある者ならよく知られているように――この原初的な人びとにとっては多くの点で精巧にも厳格なヱティケットそのものなのである。
 他方、求婚者が、彼が置いていった口琴が乙女の小屋のなかに持ち込まれたのをみるなら、彼はこのことを彼の求婚が功を奏し、その上、自分の選んだ少女(maiden)に夫として受け入れられた表象とみなしてよいのである。そこで早速、彼は彼女の居室に招じ入れられ、乙女からは正式に婚約者(betrothed)として、また彼女の両親からは将来の娘婿(son-in-law)として迎えられる。
「ヘッドハンターズ フォモゥサ首狩り民のはざまにて」 J.B.M. マクガバン 中村 勝 訳 ハーベスト社 2014.1.18

126. 『弥生の琴』 森 豊 / 日本 1973
“Yayoi no Koto (Zither of the Yayoi Period)" Mori Yutaka / Japan [2023.12 up]
 弥生人のもった楽器というのは案外多く、打楽器として鼓、拍子木、拍板、管楽器としての笛類、絃楽器としての琴、楽弓、口琴など自鳴楽器の銅鐸、鈴などが存在したのではなかろうか。これらの楽器はいずれも、原始信仰に伴う神祭や行事の際、使用されたものであろうし、現在の音楽とは異なった意味ではあるが、これらが、それぞれの用途意義によって、主たる楽器を中心に伴奏し合い、一つの編成をとったものであろう。あるいは単独で、あるいは楽団をもって、古代の闇にひびいたことであろう。それがどのような音色をひびかせたのか知るに由ないけれど、神楽などのさらに素朴なものを幻想してみたい。登呂の古代の村などで、樫や楠の生いしげる森かげで、富士の噴煙をはるかにのぞみながら、神をまつりあるいは[女+曜-日]歌会の舞や宴が展開したなかに鳴りひびいたことがしのばれる。佐佐木信綱博士の『登呂の歌』のなかにも、そうした登呂幻想があった。

  登呂の野の月夜(つくよ)さやけみ釧(くしろ)つけし手をさしかへて[女+曜-日]歌(かがひ)うたふも
  老爺(おじ)よ我に語りを聴かせ遠つ祖(おや)ゆうたひつぎこし古東歌
「弥生の琴」 森 豊 第三文明社 1973.4.15

127. 『東番記』 陳 第 / 中国 1603
“Dong Fan Ji(An Account of Eastern Barbarians)" Chen Di / China [2024.1 up]
 シラヤ族の母系社会では「男性は世帯を持つため妻にしたい女性を決めると、人を通じて一対の瑪瑙珠を女性の家に届ける。……もし受け取られたら、その夜女性の家に行く。そして開門を求める代わりに、屋外で口琴を弾き女性に合図を送る。……女性は口琴の音を聞いたら、男性を招き入れ、共に一夜を過ごす。夜明け前、男性はそのまま帰り、……子供が生まれて初めて、女性は婿の家まで迎えに行く。それは婚礼で新郎が新婦を迎えに行くのと同じだ。この時に初めて妻の父母と会い、それでその家の一員となり、妻の父母を最後まで養うことになる。生みの親は彼を息子として扱えなくなる。そのため男児より女児の誕生が喜ばれた。なぜなら女児なら家を継げるが、男児にはそれができないからだ」。(陳第『東番記』より)
「詳説 臺灣の歴史 台湾高校歴史教科書」 薛 化元 主編、永山 英樹 訳 雄山閣 2020.2.25

128. 『ハーモニカの本』 斎藤 寿孝 妹尾 みえ / 日本 1996
“Harmonica" Saito Juko, Senoo Mie / Japan [2024.2 up]
 ところでハーモニカがしばしば「ハープ」と呼ばれることがあるが、それはなぜだろうか。形状的にも音質的にも竪琴(ハープ)との関連を見出すのはあまりにもむずかしい。『コリンズ音楽事典』によれば、およそこういうことだ――
 十九世紀中頃まで、欧米の大衆、特に子どもたちの間で人気のあった楽器は、ジューズ・ハープである。このJew's Harpという名称の語源は、オランダ語のjeugdtromp(子どものトランペットの意)であり、ユダヤ人のJewとは特に関係はない。そこへ十九世紀後半になって量産されはじめたハーモニカがジューズ・ハープの人気に取って替わった。そして人気とともに“ハープ”という名称だけがジューズ・ハープから引き継がれ、ハーモニカは大衆の間ではマウス・ハープと呼ばれるようになっていった……。
 要はjeugdtrompのjeugdが英語化してJew'sとなり、楽器の形状(特に断面図)が竪琴を超簡略化したものを連想させたため、harpという名称がくっついて、言葉だけがそのままmouth organ, mouth harmonicaと合体したと考えるのがいちばん納得のいく説明だ。
 また別の説もある。…
「ハーモニカの本」 斎藤 寿孝 妹尾 みえ 春秋社 1996.11.2

129. 『山地口琴舞』 松岡 政則 / 日本 2009
“Sanchi Koukin Mai (Jew's Harp Dance in Mountain" Matsuoka Masanori / Japan [2024.3 up]
遠い島の
赤の部族
両の頬に入れ墨をした老婦たちが
ルブを鳴らしながら舞っている
麻で織り染めた文様
遐遠な集団の記憶
我執はない
無垢というのでもない
ただ、人を人たらしめている裡なる光がみえてくる
精霊オットフに捧げる舞
その影、の勁さ、
不意のもも色。
いただいた絵葉書を見ているだけなのに
血くだが熱くなる
南島の暗がりが
艶(なま)しい息をする
ルブの音(ね)と
タロイモの白い花
遠い島の赤の部族

* ルブはタイヤル族の竹で作った口琴。アイヌ民族のムックリによく似ている。
「ちかしい喉」 松岡政則 思潮社 2009.7.15

130. 『日本音楽の構造』 中村 明一 / 日本 2024
“The Structure of Japanese Music" Nakamura Akikazu / Japan [2024.4 up]
 楽器は、トンコリ、ムックリがよく使われます。トンコリは指で弾く五絃の琴。ハープなどと同じく基本的には弦の数(つまり五音)しか音が出ない。相対的にA-D-G-C-Fなどの四度で調弦されます。
 ムックリは竹製の口琴。音高は一つしか出ません。口の形などで、倍音を変化させる倍音楽器です。
「日本音楽の構造」 中村 明一 アルテスパブリッシング 2024.3.25

131. 『アネサ シネウ(アネチャ ひとつのふところ) アイヌとして生きた遠山サキの生涯』  遠山サキ(語り)+弓野恵子(聞き書き) / 日本 2019
“Anesar Sineupsor" Toyama Saki / Japan [2024.5 up
 次の年に佐渡でも、二回目の親小孫三世代展「シネウ展」(ひとつのふところ)が開かれて、二〇〇九(平成二十一)年には、札幌で第三回目の三世代展やったんだ。この年は、横浜のスペースオルタで公開ライブもやったな。ムックリや歌やお話や、色々なことをした。
「アネサ シネウ 〜アイヌとして生きた遠山サキの生涯〜」 遠山 サキ(語り)+弓野恵子(聞き書き) 地湧社 2019.3.20