koukin Literature of the Month

33.『ムックリを吹く女』 谷川 俊太郎 / 日本 1961
"Mukkuri o Fuku Onna" Tanikawa Shuntaro / Japan [2009.2up]
 夕暮。残照が浜にひきあげられた舟のへさきに座って、ムックリを吹くレラを照らしている。
 (S・E)
 波音、そしてムックリ。
 (と、どこからか、少年の声がひびいてくる)
少年「仔鹿の背中に
 太陽が光の粉をまぶしてゆく
 いいにおいのする羊歯の葉が
 今日の俺の寝床だ
 出ておいでセキレイ 俺の妹
 おまえのよく動く尾羽で
 俺の顔をあおいでくれ」
 (レラ、ムックリを吹きやめて)
レラ「誰、そこにいるのは」
「シナリオ」 1961年12月号 社団法人シナリオ作家協会 1961.12.1

これまでの口琴文学
1.『空き家の冒険』 コナン・ドイル / イギリス 1905
"The Empty House" Conan Doyle / GB [2005.2up]
「窓からちらと、見はり役の姿を見たのだよ。なに、こいつはパーカーといってね、大した奴ではない。のどを締めて追いはぎを働くのが稼業でね、口琴(びやぼん)の名手だが、こんな男は歯牙にもかけてやしない。だが背後にひとり、侮りがたい強敵がいるんだ。モリアティの親友でね、ライヘンバッハでがけのうえから岩を落してよこした奴だが、ロンドン中でも最も悪知恵にたけた怖るべき人物の一人だ。…
「シャーロック・ホームズの帰還」 コナン・ドイル 延原 謙 訳 新潮文庫 1953

2.『乱れからくり』 泡坂妻夫 / 日本 1977
"Midarekarakuri / Dancing Gimmicks" Awasaka Tsumao / Japan [2005.3up]
「おお、そうだった。嘉永の末、大縄(おおなわ)に定住した作蔵は、農業の傍ら、小さな玩具を作り始めた。作蔵は金細工の技術をもっていたようだ。始めは錺師(かざりし)の下請(したうけ)で、神楽鈴(かぐらすず)や鉄のビヤボンなどを作ったんだ」
「ビヤボンて、何です?」
「十センチほどの鉄の玩具だね。頭が輪で、一本の鉄の針金と二股の足が出ている。輪を口にくわえ、針金を指ではじくと、ビヤボンと音がするんだ。文政年間に大流行して、子供も大人もビヤボンとやった。大人には銀製の高級品も現われ、一時禁止されたこともある。明治に入ってからも、子供の玩具として作られていたんだ」
「乱れからくり」 泡坂 妻夫 創元推理文庫 1993.9.24 

3.『最後の一葉』 O・ヘンリ / アメリカ 1907
"The Trimmed Lamp" O Henry / USA [2005.4up]
「絵を描くって?――ばかな! 何かじっくり考えるだけの値うちのあるものを心に抱(いだ)きつづけているというようなことはないのかね?――たとえば、恋人(こいびと)であるとか……」
「恋人?」とスウは、ユダヤ・ハープの音のような声で言った。「恋人なんかにそんな値うちが――いえ、先生、そんなものはありませんわ」
「なるほど、そこがあの娘の弱味だて」と医者は言った。
「O・ヘンリ短編集(三)」 O・ヘンリ 大久保 康雄 訳 新潮文庫 1969.4.10

4.『北夷の海』 乾 浩 / 日本 2000
"Hokui no Umi" Inui Hiroshi / Japan [2005.5up]
「ご検分のご成功を祈る」
 山崎半蔵が頭を下げて言うと、林蔵は山崎の手をしっかりと握り、唸るように叫んだ。
「成功せねば帰りませぬ。樺太の土となります。もうおめにかかることはありますまい。お達者でお暮しください」
 皆との水盃の後、図合船(ずあいぶね)は扇形の帆を上げ、宗谷柵内の港をゆっくりと出て行った。
 船が浜を離れはじめると、伝十郎の雇人たちが、アイヌの竹楽器ムックリを唇にあてて奏でた。アイヌの女たちが熊狩りに出かける良人の無事と幸運を祈った曲で、雇人たちは二人の前途を神に祈願して奏でたのである。
 男たちは唇と指で曲を奏で、足を踏み鳴らして踊った。ムックリの曲と踊りが終ると、あちこちで叫び声があがり、手を振りながら図合船を追うように浜を走り出した。
 伝十郎は、小さくなっていく人影をじっとみつめ、時々、空を仰いではあふれ出る涙を二の腕で拭った。
「歴史読本」 2001年2月号 新人物往来社 2001.2.1 

5.『ブラックライト』 スティーヴン・ハンター / アメリカ 1996
"Black Light" Stephen Hunter/ USA [2005.6up]
…彼の名はアール・スワガー、年齢は四十五歳だった。
 アールはあたりをみまわした。道路はここから斜面にさしかかっているので、片側は高く持ち上がり、もう一方の側は下へ落ち込んでいた。テキサコのガソリンスタンドのくそったれな看板を別にすれば、みるべきものはなにもなかった。(中略)木こりの道具で殻を砕かれて肉と血のかたまりと化し、道路をよごしているアルマジロが一匹。よどんだ暑気のなか、セミどもが、ジューズハープ(口にくわえて指で弾く原始的な楽器)の酔いどれカルテットのように、うるさくさえずっていた。ここ何週か、雨は降っていない。森林火災の発生しやすい気候というわけだ。アールとしては、かつて自分がすごした別の暑くてほこりっぽい土地、タラワやサイパンや硫黄島(イオウジマ)のことを思いおこさされる気候だった。
「ブラックライト(上)」スティーヴン・ハンター 公手 成幸 訳 扶桑社ミステリー 1998.5.30 

6.『コショウ菓子(がし)の焼(や)けないおきさきと 口琴(くちごと)のひけない王さまの話(はなし)』 レアンダー / ドイツ 1871
"Von der Konigin, die keine Pfeffernusse backen, und vom konig, der nicht das Brummeisen spielen konnte" Leander/ Germany [2005.11up]
 ところが、三ばんめのお姫(ひめ)さまは、一ばん美(うつく)しくて、一ばんかしこかったのですが、このお姫(ひめ)さまのところへいったときは、一ばんみじめでした。なにしろ、お姫(ひめ)さまは、王さまに、まるで口をきかせず、王さまがいい出す前(まえ)に、むこうから、王さまはたぶん口琴(くちごと)がおひけになりましょうねと、たずねたのです。そして、王さまがひけないといいますと、それは、たいへん残念(ざんねん)ですわ、ほかの点(てん)は、まことに申(もう)しぶんございませんけど、わたくしは、口琴(くちごと)を聞(き)くのが大すきなものですから、口琴(くちごと)のひけない男のかたのところへは、およめにいかないことにきめていますの、といって、王さまにひじでっぽうをくわせました。
「ふしぎなオルガン」 レアンダー作 国松 孝二 訳 岩波少年文庫 1952.11.15

7.『二つの種族』パプア・ニューギニアの民話 / パプア・ニューギニア 1977
"The Two Tribes" Ulla Schild ed. / Papua New Guinea [2005.12up]
 さて、このレンゲに、一人の老婆が娘と住んでいた。ある日、ライ川の岸で流れ木を拾っていると、一本の大きな枝が流れてきた。老婆はただの流れ木だとばっかり思って、勇んで家にかつぎ帰り、乾燥させるために、わきの方にたてかけておいた。それはよいが、夜になって、親娘(おやこ)むつまじく火をかこんで、女のおしゃべりに興じているとき、どこかで琵琶(びわ)笛のようなものが鳴りだした。二人は、ほかにはだれもいないことを知っているので、腰を浮かして聞き耳を立てた。それから、その音(ね)が聞こえてくるらしいところを、あちこちさがした。
 わからない。すこし間(ま)をおいて、またさがした。家の中の物はいちいち手でさわって確かめ、とうとうさいごに、豚小屋の壁に立てかけてある流れ木の大枝のところに来た。引き出して調べてみると、この大枝に一人のりっぱな若者がいて、その若者が琵琶笛を吹いているのであった。そして歩み出て、母娘のそばに腰をおろした。つぎの日の朝、若者は娘と結婚した。やがて二人の息子、レオとアプレをもうけ、そのレオがヤカリ族を残し、アプレはアプリニ族を残した。これが両族のいわれである。
「世界の民話 パプア・ニューギニア」 小沢 俊夫 編 ぎょうせい 1978

8.『トム・ソーヤーの冒険』 マーク・トウェイン / アメリカ 1876
"The Adventures of Tom Sawyer" Mark Twain / USA [2006.1up]
子どもたちは、つぎつぎにやって来た。かれらは、からかうつもりでやって来たが、しまいには、みな塀塗(へいぬ)りをした。ベンがへたばるころ、トムは、ビリー・フィッシャーのまだ新しいタコと、塀塗りのつぎの番を交換(こうかん)した。ビリーが疲(つか)れはてた時には、ジョニー・ミラーが、ふりまわすひものついた死んだネズミを持って来て、そのつぎの番を買った−−というような調子で、何時間も何時間もつづいた。そして、午後もなかばすぎごろになると、その朝は、すかんぴんだった少年トムのふところには、文字どおり、財産がうなっていた。トムは前に挙(あ)げたもののほかに、ビー玉を十二、口琴(くちごと)(口にくわえ、指ではじいてならす楽器)の部分品、色眼鏡(いろめがね)のかわりに使う青いビンのかけら、糸まきでつくったおもちゃの大砲(たいほう)、何もあけられない鍵(かぎ)、チョークのかけら、水さしのガラスのせん、ブリキの兵隊、オタマジャクシ二ひき、花火六発、片目(かため)の子ネコ、シンチュウのドアのハンドル、犬のくびわ──ただし、犬はついていない──、ナイフの柄(え)、オレンジの皮四切れ、こわれた窓(まど)わく、これだけを持っていた。
「トム・ソーヤーの冒険 上」 マーク・トウェイン作 石井 桃子 訳 岩波少年文庫 1952

9.『不思議な少年 第44号』 マーク・トウェイン / アメリカ 1982
"No. 44 The Mysterious Stranger" Mark Twain / USA [2006.2up]
「…祈りたかったら、きみだけやってくれ。──ぼくのことなど気にかけなくてもいいんだ。ぼくは珍しいおもちゃで遊んでいるから、もしそれがお邪魔でなかったならね」
 彼はポケットから小さな鋼鉄製のものを取り出すと、それを自分の歯の間にあてがいながら、
「これはジューズ・ハープというものなんだ。──黒人が使うんだよ」
 そしてそれをかき鳴らしはじめたが、それは実にしつこく、精力的で、響き渡る、極度に陽気で、人の心を奮い立たせるような種類の音楽だった。そしてそれを鳴らすと同時に、彼は激しく飛んだり跳ねたり、さっと舞いおりるような格好をしたり、ぐるぐると回ったりしながら、部屋の中のあっちこっちと動き回って、祈りの言葉なぞ追い払い、見ている者の目をくらませるような様子をした。そして時々ありあまる自分の喜びを荒々しい歓声で表わしたり、また別の時には、空中に跳び上がり、そこでトンボ返りをうちながら一分間ものあいだ車のようにくるくると回ったりした。そしてあまりにも恐ろしい勢いで素早く回るので、彼はすっかり巻取り機にかけられてしまって、ブンブンとうなる音が聞こえてくるように感じた。そして彼はその間ずっと自分の音楽にきちんとリズムを合わせていた。それはまったく途方もなく刺激的で、異教徒的な振る舞いだった。
 彼は、それをしたからといって別に疲れた様子も見せず、かえって気分が爽快(そうかい)になっただけのようだった。そしてやって来ると、わたしの傍らにすわり、片方の手を魅力的な仕草でわたしの膝(ひざ)の上に置くと持ち前のあの美しい微笑を浮かべて、お気に召したかい、と言った。…
「不思議な少年 第44号」 マーク・トウェイン 作 大久保 博 訳 角川書店 1994

10. 『なりひびけコーチル』 松本 みどり / 日本 1996
"Narihibike Kochiru" Matsumoto Midori / Japan [2006.3up]
ウディンカは、目をとじて、ゆびでそっとコーチルをはじきました。
コーチルのねいろが、やさしくしずかにひろがっていきました。
森も、川も、風も、すべてがしずまりかえっていました。
ウディンカが、そっと目をあけると、そこに男の人と女の人がたっていました。
「わたしのむすめ!」
女の人はそうさけぶと、ウディンカをしっかりだきしめました。
男の人も、りょう手をひろげ、ふたりをむねいっぱいにだきしめました。
「おとうさん! おかあさん!」
ウディンカは、ふたりのむねのなかで、なみだをながしました。
こんなにあたたかくなつかしい気もちは、はじめてでした。
「なりひびけコーチル」 松本 みどり 岩崎書店 1996

11.『風の砦』 原田 康子 / 日本 1995
"Kaze no Toride" Harada Yasuko / Japan [2006.4up]
 香織は、しばらく無言で歩いていたが、ふと聞きなれぬ音が前方から聞こえてくるのに気づいた。波の音ではっきりしなかったが、絃(げん)をかき鳴らすような音である。
「なんだ」
 と、運平も気づいた。
「ムックリかもしれぬ」
「ムックリ?」
「蝦夷人の笛だ。和人は口琵琶(くちびわ)と呼んでいる。笛といってもなにか仕掛けがあって、お前の持っている笛とはだいぶちがうようだぞ」
「見せてもらおう」
 すこし行くと、奏者の姿が目にはいった。浜に引きあげてある磯舟(いそぶね)に腰かけていた。その姿がしだいにはっきりし、月明に横顔が浮びあがって、香織と運平は足をとめた。
「いかん、ショルラだ」と、運平が小声で言った。
 香織も声を落して、
「帰ったほうがよさそうだな」
 ショルラは、二人に気づいていないようだった。海へ向って、ムックリを吹きつづけていた。
 近くで聞くと、風の唸(うな)りのように聞こえた。すすり泣きのようでもあり、きれぎれの悲鳴のようでもあった。胸中の一切を吹きこんでいるようなムックリの音色だった。
 運平は笛をもてあそんでいたが、ふいに笛を唇にあてた。ムックリの音とは似ても似つかぬ澄んだ音色が砂浜に流れた。
 ムックリの音はやんだ。
 運平も吹きやめた。
「なんのまねだ」
 と、香織はなじった。
「笛でショルラの気を引こうとでもいうのか」
「そんなところだ」
「蝦夷人の女を泣かせるようなことはするな」
「女を泣かせたためしはないぞ。泣かされる一方だ」
 ショルラは息を殺して二人のほうをうかがっているようだったが、やがてふたたびムックリを吹きはじめた。
 運平も、それにならった。
 ショルラは吹きやめなかった。笛の音に負けまいとでもするように、ムックリの音は高まっていった。
「風の砦(上)」 原田 康子 講談社文庫 1995

12.『興安嶺の物語』 オウンク族 / 中国 1983
"Kouanrei no Monogatari [A Story from the Xinganling Montains]" Evenk Nationality / China [2006.5up]
 松のざわめきと水の音に包まれた山間に、馬のひずめの音が高らかに響きわたった。ウホーナの心は喜びと希望に満ちあふれ、五日間の道のりをわずか半日で走破した。彼が口弦をとり出して愛慕の曲を吹きはじめると、哀婉切々としたその調べは林のなかを漂い、いろいろな鳥たちが彼のところへやってきて飛びまわった。こうして興安嶺は歓喜に包まれた。
 ウホーナは鳥たちにきいてみた。
「シーウトハンの末娘はどんなひと?」
「彼女は千本の花のなかでも一番美しい花、千人の娘のうちのもっともすてきな娘。彼女は仙女より美しい。孔雀でさえも彼女の姿を目にとめると、あのきれいな尾をそそくさとすぼめる。顔は目にも鮮やかなリンゴのようで、お月さまのように人の心を奪う目をしている。美しいばかりではない。銀の鈴のような喉で、その声は歯切れよく澄んできれい。歌をうたえばトラツグミも声をひそめ、ウグイスもこんちくしようとうらむ。一度たりとも会ったことがない人さえ、彼女をお嫁にしたいという。知り合いの若者なら、用事もないのに日に三回も彼女を訪ね、用事があると九回も彼女のもとに馳せ参ずるという始末」
 鳥たちの話にウホーナはさらに心踊らせ、うれしさで胸がいっぱいになった。彼はたぎる力を満身に、山また山を越えて馬を走らせた。そして口弦を吹きながら、綿のような白雲のかかっているところがシーウトハンの宮殿でありますように、と山神に祈った。口弦の音は一面におおっていた白雲を散らした。消えゆく雲のなかから晴れやかな宮殿が姿を現わした。なんと立派な宮殿だろう! ウホーナは魅力に満ちた口弦を力いっぱい吹いた、その口弦のすばらしい音色にシーウトハンは心酔し、いったい誰がこんなに甘美な調べを……と、その人を探しに人をつかわした。ウホーナはやがて宮殿へ連れられた。第一の正門はキツネとタヌキが守っていたが、門は開けられた。第二の門はカラスと飛竜が、第三の門はノロジカとアナグマが、第四の門はオオジカと野犬が、第五の門はクマとイノシシが、第六の門はトラとヒョウがそれぞれ守りについていたが、門はみな開けられた。そして、最後の第六の門を入ったところで、王さまのシーウトハンの姿が現われた。紅顔の美少年のうえ、心うつ口弦を吹くことのできるウホーナをみて、王さまは、
「おまえの口弦は実にすばらしい。宝物が欲しかろう。何でもよい。どんなものでもくれてやろう」と言った。
「いいえ、王さま。末のお嬢さまが絶世の美人ときいて、私はそのお嬢さまをお嫁にいただきたい一心で、プロポーズに参ったのでございます」ウホーナはこう答えた。
「中国少数民族の間に語りつがれている愛の物語」 外文出版社日本語部 編 今井 喜昭 訳 外文出版社 1989

13.『アラバマ物語』 ハーパー・リー / アメリカ 1960
"To Kill a Mockingbird" Harper Lee / USA [2006.6up]
 「そんなら、お父さんが、この町で一番チェッカーがうまかったってことしってる? 昔、私たちが<荷上げ場>で大きくなったころの話だけどね、あの川の両側で、アティカスを負かすものは一人だっていやしなかったんだから」
 「なんでもないじゃないの、モーディおばさん、ジェムだって、いつもアティカスを負かしてるわよ」
 「やれやれ、勝たせてもらってるぐらいのことが、もうわかりそうなものにねえ。それなら口琴(指先で振動させる薄い金属または竹で作ったわく)が弾けるってことは知ってるでしょう?」
 なんというぱっとしない趣味。恥かしくて、自慢するなんておもいもよらない。
 「そうそう……」おばさんはいった。
 「なあに?」
 「……いいえ、それくらいだわ――だけど、それやこれやでさ、いまにあんたはお父さんを自慢するようになるとおもうわ。口琴なんてだれでも弾けるってものじゃないんだからね。…」
「アラバマ物語」 ハーパー・リー 菊池 重三郎 訳 暮しの手帖社 2006 (第35刷)

14.『揚羽の蝶 半次捕物控』 佐藤 雅美 / 日本 2001
"Ageha no Cho" Sato Masayoshi / Japan [2006.7up]
  水の出てもとの田沼となりにける

 明和、安永、天明の時代、およそ二十年は、老中田沼主殿頭意次(とのものかみおきつぐ)が、並ぶ者なき権勢を振るった時代という意味で、一般に田沼時代といわれている。田沼はまた賄賂をさかんに取り込んだ老中だったと、当時も、四、五十年がたったこの時代もいわれた。田沼というと、誰もが賄賂を連想した。
 水野は、田沼とおなじように賄賂を取り込んでいる、田沼の再来だという意味の落首である。
 ”物は付け”ではこんなのもある。

  早く埒(らち)のあくもの 三井の早飛脚と水野出羽守

 早く埒をあかせるには、水野に賄賂が必要だという意味だ。
 一年前、鉄(かなもの)でこしらえた、琵琶音(びわおん)という、子供の吹く津軽笛の一種が流行した。そこでまたこんな狂歌がひねられた。

  琵琶ぼんを吹けば出羽どん出羽どんと
     金がものいう今の世の中

 単に琵琶音と出羽どんの音が似ているところからひねられた狂歌だが、いわんとするところは、やはり水野の賄賂取り込みの風刺である。
 だが、さすがにこの津軽笛には水野もまいったようで、家斉の御成のあったこの二月、幕府は津軽笛を鳴らすのを禁じるという大人げのない触れを出している。
「揚羽の蝶 (上) 半次捕物控」 佐藤 雅美 講談社文庫 2001.12.15

15.『いしいしんじのごはん日記』 いしい しんじ / 日本 2006
"Ishii Shinji no Gohan Nikki" Ishii Shinji / Japan [2006.8up]
11月1日(木)
東京文化会館でゲラ直し。夜は町田康さんのパーティ。編集者のかたがおおぜい。口琴をならすとみなよろこぶ。代官山「シンポジオン」という店だったんですが、ごはんはおいしかった。ただ料理の名前はいっこもわかりません。
「いしいしんじのごはん日記」 いしい しんじ 新潮文庫 2006.8.1

16.『蝦夷地別件』 船戸 与一 / 日本 1995
"Ezochi Bekken" Funado Yoichi / Japan [2006.9up]
…どよめきはしばらく熄みそうにもなかった。
「ドルコエの屍(ケウ)を船着場(チポアヌシ)の集落(コタン)へ運べ、そして、すぐに葬儀(エンイペ)に取りかかってくれ」セツハヤフがとよめきを制するように声を強めた。「葬儀が終ったら、女(メノコ)たちに口琴(ムックリ)を奏でさせろ。船着場だけじゃなく、どの集落でも女たちに口琴を」
「それで?」たれかが訊いた。
「口琴の調べのなかで男(オツカイ)たちは和人(シヤモ)との戦い(コツミ)の第一歩に取りかかる。泊(トマリ)でも留夜別(ルヤベツ)でも留類(ルルイ)でも……どこの集落でも、長人(オトナ)たちは山靼陣羽織(サンタン・チミプ)を着る。[麻+非+り]刀(マキリ)や鉤銛(マレツク)はしばらくは猟には使わない。それは和人との戦いの武器(エシノプケプ)となる」
「蝦夷地別件 上」 船戸 与一 新潮社 1995.5.25

17.『タルメニとセレメニ』 アレクサンドル・カンチュガ / ロシア 2004
"The Bark Man and the Iron Man" Alexander Kanchuga / Russia [2006.10up]
 こうして駆けていくと小屋を見つけた。中に入ると、ひとりの若者が横になって口琴を鳴らしている。
 「だれだ? 何しに来たんだ。けんかでもする気か?」と、若者は身構えた。
 「俺はおまえの兄だ。弟よ、ついに見つけたぞ!」とタルメニは言った。
 「どうしてそれを知ってる? カササギが話したのか? 俺も寝ていてそう聞いたが、夢だと思っていた」
 「いや、夢じゃなくて本当なんだ。さあ、父母やほかの人たちを救いに行こう!」
 「よし、行こう! まず獣を獲って腹いっぱい食べなきゃ」
 「じゃ、獲りに行こう!」
 森に入って二頭のアカシカをしとめた。たっぷり腹ごしらえして、前進した。
「ウデヘの二つの昔話」 アレクサンドル・カンチュガ 津曲 敏郎 編訳 かりん舎 2004.3.1

18.『コールドマウンテン』 チャールズ・フレイジャー / アメリカ 1997
"Cold Mountain" Charles Frazier / USA [2006.11up]
 昼ごろ、インマンとビージは、切り倒されたばかりの木のそばを通った。歩いている道と平行に、かなりの太さのヒッコリーが倒れ、その横に長い横挽鋸(よこびきのこ)が置いてあった。よく油が注され、どこにも錆がなく、目立てがすんだばかりと見えて、ぎざぎざに並ぶ歯の一つ一つが光っていた。
 ―ほう、見たまえ、とビージがいった。打ち捨てられた鋸だ。これなら、かなりの額で引き取る者がいるだろう。
 拾おうとするビージに、インマンは一言、樵(きこり)が昼飯に行っているだけだぞ、と注意した。すぐに戻って、これからこのヒッコリーを挽いたり割ったりするんだ。
 ―それは私の知ったことではないな、とビージがいった。道端に鋸が捨ててあったのを、私が見つけた。それだけのことだ。
 そして拾い上げ、肩にバランスよくかついで歩きはじめた。一歩踏み出すごとに、両端についた木のハンドルが弾み、大きな刃が口琴(こうきん)の音のようにびんびんと唸った。
「コールドマウンテン」 チャールズ・フレイジャー 土屋 政雄 訳 新潮社 2000.2.25

19.『わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃』 青島幸男 / 日本 1991
"Wakaccha Irukedo... Shabondama no Koro" Aoshima Yukio / Japan [2006.12up]
 この録音の時がまた面白かった。えー私も一応作詞家として立会ったのでありますが、いつもの雰囲気とまるで違うのです。はじめから終わりまで笑いっぱなし、どうやら録音を終了した時は予定の時間を二時間もオーバーしておりました。
 演奏はたしかニュー・ハード・オーケストラだったと思うけど、フル編成のジャズバンド。
 ピアノ、ギター、ベースにドラムス、パーカッションを加えたリズムセクション、それに四本のトロンボーンと、四本のトランペット、サキソホンは、アルト二本、テナー二本、バリトン一本と五人が揃い、その上八人の弦と、ファゴットにジューイッシュ・ハープ、特殊楽器を入れると総勢三十人近いメンバー、豪勢なもんだ。
 中央の指揮台の上にデクさんが譜面台を前にゆったりと椅子に腰かけていて、
「じゃいってみましょうか。スーダラ節テイク・ワン」
「わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃」 青島 幸男 文春文庫 1991.9.10

20.『ヨーロッパ放浪記』 マーク・トウェイン / アメリカ 1880
"A Tramp Abroad" Mark Twain / USA [2007.1up]
 それは実行に移された――夜の十時半頃だった。ニコデマスがいつもベッドに入る頃――夜中の十二時――いたずらをしかけた連中がチョウセンアサガオと向日葵の草むらを抜けて、汚い小屋にこっそり近づいて行った。彼らは窓までたどり着いて、中を覗いた。すると、ベッドに足のひょろ長いみすぼらしい若者が短いシャツを着ただけの姿で寝ていた。彼は気分良さそうに足をぶらつかせ、紙にくるまれた新品の櫛を口に押し当ててぶーぶー鳴らし「キャンプタウン レース」という曲を吹いていた。彼の側には新しいジュウズハープ〔竪琴型のフレームに弾力のある細長い弁のついた、口で鳴らす楽器〕、新しい独楽(こま)、固いゴムボール、たくさんの色つきおはじき、それに食べきれないほどのキャンディとシートミュージック〔ポピュラーソングの楽譜で一枚ずつ分売されている〕一冊分くらいの大きさと厚さのあるジンジャーブレッドの食べ残しがあった。ニコデマスは例の骨格標本を旅のいんちき医者に三ドルで売って、その結果手に入れた物を大いに楽しんでいたのだ!
「ヨーロッパ放浪記 上」 マーク・トウェイン 飯塚 英一 訳 彩流社 1996.7.10

21.『七破風の屋敷』 ナサニエル・ホーソン / アメリカ 1851
"The House of the Seven Gables" Nathaniel Hawthorne / USA [2007.2up]
 「ヘプジバー、私たちは商品を仕入れ直さなければなりませんわ!」と売り子の少女が大きな声を出した。「しょうが入り動物菓子はすっかり売り切れたし、オランダの乳しぼり娘の木製人形もそうですし、他のおもちゃもおおかた売り切れですのよ。安い干しぶどうはないかと始終聞かれましたし、また呼び子や、らっぱや、口琴(びやぼん)などもわいわいほしがっていますわ。それから少なくとも十二人くらいの男の子は糖蜜(とうみつ)菓子をくれってせがみましたわ。それに赤りんごを九リットルほどなんとかして手に入れなければなりませんわ。ちょっと季節おくれですけれどもね。…」
「七破風の屋敷」 N. ホーソン 作 鈴木 武雄 訳 泰文堂 1964.6.15

22.『草木虫魚の人類学』 岩田 慶治 / 日本 1991
"" Iwata Keiji / Japan [2007.3up]
 私は、かつて、北部タイのミャンマー国境に近い山地でムッソー族の村を訪ねたことがある。予定がおくれて十戸ばかりのその小村に一泊することになったのだが、あいにく適当な家がない。そこで、村で最も小さい、竹づくりの民家に宿を求めることになった。その家が、たまたま廃屋になっていたからである。埃(ほこり)だらけの床を掃(は)き、イロリに火をたいて、どうにかこうにか夕食らしいものを食べた。この村では、米も卵も野菜も買えなかったので、持参のごくわずかの食糧で間にあわせたのである。
 そしてその夜、村の男たちから日頃の生活のあれこれを聞き、ムッソー族の歌を歌ってもらった。歌などは知らないというものが多く、しごくわびしい夜であった。同行のタイ人──チュラロンコーン大学の助手であった──だけが、しきりにわれわれの気分を引きたてようとしていたが、山地の夜は寒く、これからどうして一夜を明かしたらよいのか、気分は暗くなるばかりであった。そのとき、ムッソー族の一人の男が口琴を持ってやってきた。長さ六センチばかり、竹を削ってつくった簡単な楽器である。かれはその竹片を唇にあて、右手でそれに仕組まれた竹の舌を振動させる。音が聞こえるのか聞こえないのか、耳を近づけて聞くと、ブーン、ブーンとそれこそ蚊の羽音のようなひびきが聞こえてくる。
 夕暮れ近い森のなかでムッソー族の若い男女が口琴を鳴らして聞きいるということであるが、この音は何と微妙な、何と繊細(せんさい)な音だろうか。私は次第に、その男に耳を近づけ、目をつむり、口琴の旋律(せんりつ)に聞きいった。それは夕暮れの森の片隅で蚊のつぶやきを聞く思いがした。それでいて、いいしれぬ感動におそわれた。ムッソー族はこういうかすかな音を見棄ててしまうことなく、今日までひっそりと聞きつづけていたのである。おどろかないわけにはいかなかった。これは森の木の葉の音、竹林をわたる風の音、あるいは、竹片のうちに秘められた竹のいのちの音なのであろうか。
「草木虫魚の人類学」 岩田 慶治 講談社学術文庫 1991.12.10

23.『ハックルベリー・フィンの冒険』 マーク・トウェイン / USA 1885
"Advwntures of Huckleberry Finn" Mark Twain/ USA [2007.4up]
 「それでもな、ジム、どうしても飼わなきゃいけねえ──囚人はみんな飼うんだよ。だから、もうこれ以上文句を言うなよ。ネズミを飼ってねえ囚人なんていねえんだ。そんなためしはひとつもねえんだ。囚人はネズミを飼いならして、かわいがって、芸を仕込む。そうすればネズミはハエみたいに人間と仲よくなるんだ。でも、そのためには音楽を聞かせてやらなきゃならねえんだが、おめえ何か音楽をやるものを持ってるか?」
 「あっしが持ってるのは、粗歯(あらば)のくしと、紙が一枚と、ビアボン(小さい金属の輪を歯でくわえて中央の針を指ではじいて鳴らす楽器)が一個だけだけんど、ネズミはビアボンなんか聞いたって感心しますめえよ」
 「ところが、するんだ。どんな音楽だってかまわねえ。ネズミにはビアボンくらいでたくさんだ。動物はみん音楽好きで、牢獄の中では音楽っていうと夢中になる。特に、うんと悲しそうなのがいい。ビアボンならそういう音しか出ねえだろ。それをやればかならず動物は聞き耳を立てて、どうしたんだろうと思ってのぞきにくる。よし、できた。おめえの支度はそれで充分だ。おめえは、毎晩寝る前と、毎朝早く、寝台の上にすわってビアボンを鳴らせ。『縁(えにし)の糸は絶えて』(第十七章の終わり、上巻の一九二ページ参照)がいいや──あれならネズミを集めるにはもってこいで、早いことこの上なしだ。二分ばかりも鳴らすうちに、ネズミやヘビやクモやなんかが全部、おめえのことを心配しはじめてやってくる。そうしておめえのまわりをいっぱいにとりかこんで、楽しい時を過ごすのさ」
「ハックルベリー・フィンの冒険(下)」 マーク・トウェイン作 西田 実 訳 岩波文庫 1977.12.16

24.『カネト −炎のアイヌ魂』 沢田 猛 / 日本 1983
"Kaneto - Honoo no Ainu Damashii" Sawada Takeshi/ Japan [2007.7up]
 トネさんは、カナちゃんを、寝かしつけていた。
 旅のつかれからか、カナちゃんは、まもなく、すやすやと眠りについた。
 トネさんは、ふくろのなかから、ムックリを出して、鳴らしはじめた。
 ビーン ビーン
と、ふるえながら鳴るムックリのひびきは、カネトたちアイヌ測量隊の心をなごませるのだった。
 このムックリは、母からカネトがもらって、トネさんにおくったものだ。
 ムックリのひびきは、母の心を伝える。
「カネト −炎のアイヌ魂」 沢田 猛 ひくまの出版 1983.2

25.『ブライズデイル・ロマンス ―幸福の谷の物語―』 N・ホーソン / アメリカ 1852
"The Blithedale Romance" Nathaniel Hawthorne / USA [2007.12up]
 人の魂がコツコツ音を立てるような時代――テーブルが何か目に見えぬ力によってひっくり返されたり、弔鐘がひとりでに鳴り出したり、口琴(ビアボン)が身の毛もよだつ音を奏でたりといったことが続々と起きるような時代がやってきたというのでは勿論なかった。だが悲しいかな同胞諸君、今や悪に見込まれたような時代が来たのだと思う。
「ブライズデイル・ロマンス ―幸福の谷の物語―」 N・ホーソン 西前 孝 訳 八潮出版社 1984.12

26.『神*泥*人 アフガニスタンの旅から』 甲斐 大策 / 日本 1992
"Kami*Doro*Hito" Daisaku Kai / Japan [2008.1up]
 峠を渡る風を顔に受けながら、何か小さな羽虫が耳に入ったような気分で歩き続けるうち、一キロ近くいって草地に坐っている一人の少年に会った。羊の群を見張る彼は、掌の中に小さなチャング(口元で鉄の弁をはじいて慣らす楽器)を持っていた。冷たく乾いた清澄な空気の中では、少年の口腔に反響させた鉄弁の振動が一キロも空中を渡ってきたのだった。
 「弾いてみてくれるかい?」
 少年は真っ赤に頬を赤らめて恥じらいながら、びいんびいんと、やがて音程をつけリズムをとって弾いた。やがて、裏声に近い高い声でことばのない唄を重ね始めた。
 私が去ろうとする時、少年は何かを言いたげで、しかしそれも見つからず、軽く手を上げた。しばらくして背後から声がきこえた。
 「ホダァ・ハーフィズ(神と共に)!」
 そして再び羽虫が耳に入ったような振動が後方から私を捉え、いつまでも響き続けた。
「神*泥*人 アフガニスタンの旅から」 甲斐 大策 石風社 1992.2.20

27.『対極 デーモンの幻想』 アルフレート・クービン / オーストリア 1968
"Die andere Seite" Alfred Kubin / Austria [2008.2up]
 ――例の床屋の助手ジョヴァンニは、移動するキツネザルに気をとられて、ある紳士の顔を剃りかけたまま、一日じゅうほったらかしにした。群れの中にいた美しい牝のオナガザルが、ジョヴァンニにウィンクしたのだ。その誘惑に床屋の助手は抵抗できなかった。哲学に造詣の深い床屋の親方は、藤蔓を手にして、「時間は刹那の集積だということを忘れるな」と叫びながら、助手を連れ戻そうとした。しかし、あらゆる勧告がムダだった。ジョヴァンニは店から雨樋を伝わってかるがると上へ登り、行きがけの駄賃にX皇女のコーヒーが入ったポットを尻尾で引ったくって、ぼくのもとの住居の窓に腰掛けた。そして頬嚢にかくし持ったビヤボンを出し、涼しい顔でそれを吹いた。
「対極 デーモンの幻想」 アルフレート・クービン 野村 太郎 訳 法政大学出版局 1971.3.30

28.『私 〜 朝です』 谷川俊太郎 / 日本 2007
"Watashi" Shuntaro Tanikawa / Japan [2008.3up]
散りかかる落葉の力
むずかる幼児の涙の力
遠ざかる口琴の響きの力
何気ない句読点の力
おはようの力
「私 谷川俊太郎詩集」 谷川 俊太郎 思潮社 2007.11.30

29.『夕顔将門記』 常世田令子 / 日本 1997
"YuugaoShomonKi" Tokoyoda Reiko / Japan [2008.4up]
 その時、谷を隔てた向かいの山から、かすかに、しかしはっきりと、先程のあの響きが渡ってきたのである。老女も若い女たちも、いっとき聞き入ってから、顔を見合わせて笑う。ニシャには分からない言葉を交わし合って、楽しそうにまた笑った。何だろう、何だろう。ニシャ丸はもうたまらなくなって、つかつかと老女に近づき、
「わ、わし役人ではござせん。いま、山のぼって来たればその笛が……。向こうの山でもだれか、鳴らしてごぜしょう。ちぃと見してくなさい、その……笛」
「おや」
 と老女が相巧をくずして、女たちに向って、
「これがそんなに面白いと、妙な子供じゃ」
 それからその平たい竹ぎれを口にくわえ、垂れた糸を張って指で弾いたら、たちまちさっきの音色がびぃーん、びぃーんと、切なく美しく谷を渡ってゆく。ニシャがうっとりと聞き惚れていると、
「狩に出ている仲間たちと、わしらはこうして交信するのよ。陸奥にいたころの先祖たちは、男と女の愛を交わすにも鳴らしたっていうがね。吹くわけじゃないで笛とはちがう。ま、琴かな、口で奏でる琴じゃな」
「夕顔将門記」 常世田 令子 崙書房出版 1997.10.20

30.『マナス 青年編』 キルギス英雄叙事詩 / キルギス 1988
"Manas" Kyrgyz Heroic Epic / Kyrgyz [2008.5up]
 美しい顔をサーニ姫が母に向けて言った。
 「みんなを殺しているというのに、どうして放っておけましょう。あの人の前へ出て、とめて来ます。悲しまないで母さま。カラ・キルギスのハーンと婚礼の式を挙げるために、あの人の所へ行きます」
 どうするかを彼女はあらかじめ考えていて、すでに娘たちを華やかに装わせて準備しておいた。六十人の腰元を従え、金の冠を頭に重たげに載せ、十六歳半の彼女が藺草(いぐさ)の敷物をしずしずと踏んで出て来た。金糸で刺繍した長衣がきらめき、月のようなかんばせが輝いている。女たちが進むにつれて、女神がたわむれているかのように長衣が揺れ、前髪が目の上で舞って、腕は袖に通さないままだ。風下に誰かが立てば、やっと目が届く距離からも彼女たちの芳香が届く。絹地の長衣が金糸で織られているかのように光り、革で仕立てられているかのようにかさかさと鳴る。パン焼きかまどの熱のような暑さに閉口しながら、サーニが口琴のようにリズミカルな声を上げた。
 「すべてのタジク人、クィイバのために、この身を捧げます。この世で見たことがありません、あのような気高い方を。どんなにつらくあたっても、みんなあの方は大目に見てくださいました。ベクたちから五人を同行させなさい。わたしはもうあの方の嫁に行きます。わたしがあの方の言うことに逆らわなければ、おおらかにやるでしょう、キルギスのマナス・バートゥルは」
「マナス 青年編 ―キルギス英雄叙事詩」 若松 寛 訳 東洋文庫717 平凡社 2003.8.11

31.『天下御免 誰かが北で哭いている』 早坂 暁 / 日本 1972
"Tenkagomen" Hayasaka Akira / Japan [2008.12up]
●長屋で
  シャグシャインの顔。
シャグシャイン「………」
  稲葉小僧が、帰ってきている。
  右京之介、そして紅。
紅「そう……みつからないの。(と、がっかり)」
右京之介「お前、ちゃんとマジメに探したのか」
稲葉小僧「……どうもなア、オレ、調子がおかしいんだ。
 なんだか、ブン、ブン、ブン、ブン、クマンバチがうな
 ってるような音が聞こえてみたりよ、で、そっちの方へい
 くと、フッと消えるんだなア。おかしいんだよ」
  首をひねりひねり、寝床にもぐりこみ、フトンを頭か
  らかぶってしまう。
シャグシャイン「!?……」
紅「(右京之介に)玄白さんにみてもらったほうがいい
 んじゃないかしら」
右京之介「お医者様でも、草津の湯でも、この病いはなお
 らないな」
シャグシャイン「……」
  そっと、懐からムックリをとり出す。
  ブン、ブンとひきはじめる。
  稲葉小僧、とびおきた。
稲葉小僧「うアッ! また聞こえるよオ!」
シャグシャイン「この音が、聞こえたのですか」
稲葉小僧「あ、ああ……」
シャグシャイン「チョクンナだ!」
「天下御免 【其の二】」 早坂 暁 大和書房 1986.7.5

32.『田舎の教師(せんせい)』カムマーン・コンカイ / タイ 1978
"Khruu Baannook" Khammaan Khonkai / Thailand [2009.1up]
 数人の友人や教官たちと共同して、この東北地方農村民芸展の開催を完全に成功させた一員として、彼はこの展示会に誇りを抱いていた。しかし彼は何にもまして、東北地方の民芸文化と称するものに、大いなる誇りを持っていたのである。めし籠(クラティップ・カーオ)、魚籠(コーン)、もんどり(サイ)、水汲籠(クル)、かご(タクラー)、米置かご(クラブン)、円箕(クラドン)のような竹で編んだ細工物であろうと、模様織枕(モーン・キット)、模様織腰布(シン・ミー)、絹のサローン、馬白布(パー・カーオマー)の如き織物、編み物類であろうと、はたまた笙(ケーン)、東北タイ・マンドリン(スン)、東北タイ・シロフォン(ポーン・ラーン)、口琴(フーン)、四つ板(マイ・カップケップ)と呼ばれるような楽器類であろうと、これらの物はもう何回となく歩いて見て廻ったのであるが、それでもまた見に来ずにはいられなくなるのである。
「田舎の教師」 カムマーン・コンカイ 冨田 竹二郎 訳 井村文化事業社 1980.1.20